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スレッドNo.239

アイビーの感想 その1

アイビーの感想です。例によってアイビーの鑑賞3原則に則ての駄文です。お気を悪くされませぬよう願います。異論、異議、大歓迎です。

いつの世も憂苦に満ちて河童の忌 (ちとせさん)
河童忌は文豪芥川龍之介の忌で7月24日のこと。生前、河童が好きで揮毫などに好んで描いた。また俳句でも一家をなした。虚子との交際はよく知られる。ぼんやりとした不安にさいなまれ自死した龍之介に、上五中七のフレーズが利いている。ただ、「河童の忌」としたのは疑問。「河童忌」と一続きにすべきかとも思うが。

水やりのため息ひとつ酷暑かな (エミさん)
花か野菜か、水やりはエミさんの日課なのだろう。せっせと丹精込めて水をやるのだが、それにしてもこの暑さはどうか。思わずため息を漏らすエミさん。暑さは和らぐ気配すらない、うんざりした気持ちをため息で表現したところが巧い。

炎天や石の布袋の太鼓腹 (蓉子さん)
べんべんたる太鼓腹は、今ならメタボと言われるが、かつては有徳人の象徴だった。雨の日も風の日も、凍える冬も炎暑の夏も、いつも機嫌よく笑っている布袋。石製品だから当たり前だが、凡俗の身には到達できない境地だ。読者の側に、布袋様のイメージが定着していることが共感を呼んだ。作者の計算通りだろう。

底紅や姉妹の奏づ吹奏楽 (無点)
惜しくも無点句となった。底紅は木槿のこと。木槿と姉妹の楽器演奏を取り合わせた句だが、いま一つ読み手に状況が伝わらなかったようだ。具体的に楽器の名前を出すとかすれば、姉妹は何歳くらいなのか、読み手に想像が働くのではなかろうか。

廃線に夕菅ほのと灯り来し (森野さん)
夕菅は夕萓とも書くが、レモンイエローの可憐な花を咲かせる。夕方に咲く花の性質から、「ほのと灯り来し」
という表現が生きてくる。さらに舞台装置として廃線を配したあたりが心憎い。この句は何処に旅行された時の句なのか、作者の森野さんの自句自解をお願いしたいところだ。

しゃべるたびマスクはずれて秋暑し(ABCヒロさん)
本来マスクは冬の季語だが、コロナからこの方、通年ものになった感がある。立秋とは言え暑さ厳しい中、ただでさえ鬱陶しいのに人前ではマスクを外せない。しゃべる度にマスクがずれるから、その都度直さなければならない。残暑が募るばかりだ。まことによく分かる一句。

甲虫捕りに出かけてそれっきり (束束子さん)
男の子はとにかく虫類が好きだ。まして貫禄たっぷりの甲虫と来れば、寝食も忘れて追いかける。女の子はそんなことは無いのは、虫好きは太古から男にのみ刷り込まれた遺伝子なのだろうか。その方面に詳しい方、どなたか解説していただきたいものだ。座五の「それっきり」が可笑しい。

以下、不定期掲載

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月17日 20:13)

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