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スレッドNo.2524

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2
例によって、アイビーの俳句鑑賞3原則に則っての駄文です。お気に障ったら平にご容赦。異見、反論大歓迎。

秋彼岸入日赤々浄土透く (和談)
作者の和談さんはどこの情景を詠まれたのか知らないが、かなり広い例えば河川敷辺りかと想像する。彼岸の中日ともなると真西に日が沈む。その西の彼方にはお浄土があると言う。真っ赤な落暉のその先に浄土の存在を確信した作者。大自然の悠々たる営みの前に、人は敬虔な気持ちになる。

親離れ出来ぬ私と秋の空 (コビトカバ)
親離れ出来ない子もあれば、逆に子離れの出来ない親だってある。それが人間の自然な情愛と言うものだろう。聖賢ならぬ凡俗の私たち、無理に親離れ、子離れをすることはない。時が来れば嫌でも親離れ、子離れをするしかないのだから。季語に「秋の空」を持ってきたのは、作者自身もそんな自分を肯定する気分だろうか。

親しみし番組終る夜長かな (いちご)
毎週欠かさず見ていたテレビ番組が終わってしまった。さて来週から何を見ればよいのか。その辺りの気分のありようを「夜長」と表現した。「夜長」が利いている。しかし、考えようによってはテレビ番組ぐらいしか、懸案事項を持たないわが身の境遇に幸せを噛みしめている作者でもある。

雑草てふ名の草は無し草の花 (ふうりん)
「雑草という名の草は無い」とは牧野富太郎博士の名言で、昭和天皇も同じ言葉を常々述べてこられた。先頃までNHKの朝のドラマでもやっていた。従って、季語の「草の花」にもきちんとした花の名を言うべきだ、と言われても困る。俳句の世界では名も無き草も千草も立派に通用する。それらを総称して「草の花」という。作者のふうりんさんもまた皮肉な季語を持ってきたものだ。

詰めるだけ詰めし馬鈴薯なほ詰める (ヨシ)
家庭の主婦目線の佳句で、私が特選にいただいた。17音の中に「詰め」ばかり3度も繰り返し使ったことで、そこはかとなくユーモアが漂い、リフレイン効果も出している。特に3回目の「なほ詰める」とダメ押ししたところが上手いと思った。
潮風の力も借りて烏賊を干す (ヨシ) 
上五、中七の「潮風の力も借りて」としたセンスが秀逸。ただ、「烏賊」は夏の季語に分類され、秋の句会に出したのでは不利を免れない。

秋天やキリンとキリン首交わす (ABCヒロ)
同じ作者で案山子の句が6点を集めたが、この句を取り上げてみたい。動物園の複数のキリンがいて、長い首を交わらせている。読み手の注意を高い所に引き付けておいて、季語に秋天を持ってくる呼吸を見習いたい。手練れの句。

以下次号、不定期掲載

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