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スレッドNo.2850

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2
例によってアイビーの俳句鑑賞三原則に則っての駄文。お気に障る向きには平にご容赦。

幸せや鼻まで浸る冬至の湯 (あい)
月日が経つ早さをしみじみ感じる昨今。今年も色々な出来事があったが、今日は12月、気がつけば冬至も間近だ。様々な事どもを振り返り、うたた感慨に耽る作者。わが家に関しては、家族が健康で大過なく過ごしえたこの一年。湯に浸かりながらしみじみ感謝する作者。上五の「幸せや」にすべてが言い尽くされている。

冬芽今静かに力溜めてをり (わかめ)
すっかり葉を落とした枯木。しかし、一陽来復の言葉通り自然の摂理は厳粛だ。来たるべき季節に備え、枝枝にしっかり冬芽が出ている。そのことを「静かに力溜めてをり」と捉えた作者の感性は鋭い。ただ一つ私の提案だが、上五の「今」をかな表記の「いま」にしてはどうだろうか。漢字が4つ続いて若干、読みづらさがあるので。冬芽いま静かに力溜めてをり

三日分買ふ食料や寒波来る (玉虫)
私もいただいた句。災害時やこの句のように寒波の襲来が予想されると、差し当たって困るのが食糧の確保だろう。昔のように各町内に八百屋があった時代と違って、最寄のスーパーでも数キロ離れている現代、特に高齢者には切実な問題だ。夫婦ともにいわゆる後期高齢者、子どもはそれぞれに独立、という家族形態が進行すればなおさらだ。せめて食料を三日分買うぐらいしか対策がない。

どちらかと云ふとパパ好き浮寝鳥 (束束子)
パパが好きかママが好きかと幼子に問えば、答えに窮するに違いない。概して、男の子はママが好き、女の子はパパが好きという人、いやそんなことはない、逆だ、いや設問自体がナンセンスと喧しい。ところで掲句の場合は浮寝鳥ときた。正直なところ、頭を抱えざるを得ない。質問したところで、我関知せずとばかり寝たふりを決め込むに違いないからだ。作者が「パパ好き」と言っているから、読み手も納得するしかない。少々強引でも、言い切ってしまえば説得力を持つのが俳句だ。

近松忌一か八かのプロポーズ (ABCヒロ)
近松門左衛門の忌日は旧暦11月22日、太陽暦に直せば丁度今ぐらいに時期になろうか。男女の情念を描いた。封建時代の事とて、道ならぬ恋を成就させようとすれば、手に手をとっての心中ということになる。それを太棹の調子に乗せての名文句のオンパレードで大衆の喝采を浴びた。翻って現代、男女の愛情表現も直截ならプロポーズも大胆だ。ダメ元で「一か八か」プロポーズしてみる。嫋々たる近松の世界とは大違いだ。現代風俗をカリカチュアして近松忌と対比させたところに味がある。

ブレーキ音ヘアピンカーブ冬紅葉 (無点)
惜しくも無点となったが、言わんとするところはよく分かる。欲を言えばカタカナ語が多すぎて見た目が煩わしいことか。季語に冬紅葉を持ってきたのは、冬の句会という意味合いもあるだろうが、私個人の考えは、目の前に紅葉があるのならば、秋の季語でも紅葉を使って構わないと思う。紅葉は華麗なイメージ、対して冬紅葉は一抹の淋しさと、ニュアンスの違いがあるので無理に冬紅葉とすることはない。

日もすがら菊のほか見るものなくて (無点) 
これも惜しくも無点となった句。俳句は、見たもの全部を描写する必要はないが、さりとて必要最低限度の情報は読み手に与えたいものだ。この句は恐らく菊花展かなにかの催しに出かけた時の情景かと思われる。それを菊花展を省略しては読み手は戸惑う。再考されたい。

以下次号、不定期掲載

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えっちゃんあらさん、私のとんだ解釈違いでえらい失礼なことを申し上げました。気になさらんで下さい。

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日もすがら菊のほかに見るものなくて。。を詠んで頂きありがとうございます。これは1日位家の庭の勝手に咲いてる野菊だけを見ている朝から夕方まで出かけることもなく。こんな1日も野菊でなんか俳句にならないかな🎵と。

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