アイビーの俳句鑑賞 その3
アイビーの俳句鑑賞 その3
例によってアイビーの鑑賞三原則に基づく駄文です。お気に障ったら平にご容赦を。また、解釈違い、異見など、皆様の書き込みをお寄せ下されば有難いのです。
一月尽ついに果たせず休肝日 (和談)
休肝日だから禁酒とは違い、週のうちノーアルコールの日が1日だけでよいという、ハードルの低い目標すら挫折した。なんともはや、と言うしかないが、そもそも守れない目標は最初から掲げなければよさそうなものだ。しかし、身につまされる世の男性諸君も多いのではないか。酒飲みの、いかにも正月らしい愉快な一句。
好き嫌い示す一歳雛まつり (ダイアナ)
誕生日を過ぎるころから、嬰児でも好き嫌いをはっきり示す行動をする。自我の芽生えとでも言おうか。一体に、「孫俳句に名句無し」と言われるが、これは可愛さのあまり、句が甘くなる所為だろう。しかしこの句は、祖母として孫の可愛さと同時に、冷静な観察者たる俳人の目を持っている。凡庸な孫俳句とは一線を画すべきだ。私が特選にいただいた句。
窓越しに懐炉手渡す始発バス (ヨシ)
ご本人による解説があったので背景はよく分かった。さりげない日常の一コマを淡々と描写しただけだが、そこに家族への作者の思い、始発バスに乗らねばならない事情、更には早朝の冷え込み、その他諸々を語って間然としない。語らなくても読み手に分からせる、俳句の真骨頂を見る思いだ。
紅梅や枝に香りの這い登り (ナチーサン)
今年は例年になく温かい日が続き、梅の開花も随分と早いようだ。中七、座五の「枝に香りの這い登り」としたところに作者の詩的興趣のありようが見て取れる。物を見て、何事かを感ずることで俳句が始まる。これは年齢とは関係ない。ナチーサンさん、健在を示す一句。
ありたけの光とらへて耕せり (てつを)
長く厳しい冬が終わり、春の農耕の喜びが「ありたけの光とらへて」に凝縮されている。季語は「耕せり」だが、状況説明は一切無く、ただ農耕の喜びだけに焦点を当てたところに、作者一流の俳句センスを感ずる。それでいてちゃんと俳句になっているあたり、上手いなあと感心するほかない。
節分や炒り豆踏んで猫無粋 (茶々)
節分のあと、辺りに昨日の豆が散乱しているところを、猫が悠然と踏んで行く。非常に面白い情景で、写真で言えば絶好のシャッターチャンスを逃さず捉えた。これだけでも十分、俳味があり面白いのだが、忌憚なく言えば「猫無粋」が蛇足。節分の炒り豆踏んで猫が行く これで十分俳句になる。
狛犬にもたれ竹馬一服す (明楽寺)
神社の境内で竹馬遊びをしていたが、遊び疲れて狛犬に凭れ小休止。石の狛犬はもとより石だから表情を変えることなく、怖い顔であたりを睨んでいるばかり。疲れた子どもと狛犬の対照が、得も言われぬ可笑しみを生む。俳句の滑稽とはこの可笑しみを言うのではなかろうか。
初場所や弓取式は神の所作
惜しくも無点句となったが、作者の相撲に対する蘊蓄が垣間見える句だ。ただ、弓取式は特に初場所に限ったことではなく、本場所、花相撲の別なく行われる。神事としての相撲は、故事来歴から秋の季語とされるので、むしろ季節を秋にした方が趣旨に適っているようにも思うのだが。
アイビーの俳句鑑賞・完