アイビーの俳句鑑賞 その2
アイビーの俳句鑑賞 その2
紙雛小さく飾りしふたりかな (尾花)
大胆な推測をすれば、この句は作者自身の若い時、それも新婚当時の実体験が投影されているのではないか。幸せいっぱいだがマイホームは狭い。豪華な段飾りなど飾るスペースが無い。そこで慎ましく紙雛となる。段飾りなどなくても若い二人の前途は洋々。希望に満ちていたあの頃が懐かしい。座五の「ふたりかな」がまことに秀逸。読み手にいろんな連想をさせるキーワードとなっている。
啓蟄や息子は布団出て来れず (コビトカバ)
虫が穴から出てくるのが啓蟄。啓蟄の日に、朝、蒲団から出てこない息子と取り合わせたところに捻りが利いていて面白い。ユーモアたっぷりの愉快な句となった。家庭の日常の一コマを、主婦の視点で捉えた佳句。
里芋葉光る水玉春の朝 (和談)
和談さん丹精の菜園の、ある春の朝の表情を描写した句。一口に菜園とは言っても、作物も違えば気象条件も違うから、日々のちょっとした変化も見逃せない。このあたり、俳句の写生と通じるものがある。ところで芋には芋、薯、藷の三種があり、さといもが芋、じゃがいもが薯、さつまいもが藷と使い分ける。上五「里芋葉」は単に「芋の葉」としても意味が通るが、秋と紛らわしいので「芋の芽」としてはどうか。
月曜の雪崩のごとき仕事量(ふうりん)
週休二日制が当たり前の現代、休み中の仕事は月曜日にしわ寄せがくる。その様を「雪崩」と形容したところが言い得て妙で上手い。ところでこの句の季語の雪崩、実際に見たり経験した雪崩ではなく、比喩として使っているが、私はこういう使い方もありだと思う。
ミモザ咲く叱り上手な修道女 (玉虫)
この句も作者自身の見聞に基づいた句ではなかろうか。修道女だから威厳と優しさを兼ね備え、若い者の過りを叱る時も、柔和な物腰を崩さない。決して頭ごなしでなく、時にユーモアも交え淳淳と諭す。季語にミモザを斡旋したのが見事。気品のある句に仕立てた。
猛烈に君に逢いたい春の闇 (ラガーシャツ)
俳句というジャンル恋を語るには不向きな文芸と言われる。ところがこの句は、終始一貫、熱烈に求愛を訴える文言で埋め尽くされ、しかも季語が「春の闇」ときてはなにやら意味深長だ。私の乏しい異性経験をもってしては、到底手に負えない。しかし、女性の側からすると、こういう情熱的な求愛の言葉に魅かれるようで、入点の4点は全部女性票だ。
幸せのハンカチなびく鯉のぼり (ラガーシャツ)
大分前になるが、山田洋次監督、高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」という映画があった。ラストで黄色いハンカチが翩翻となびくシーンが印象に残っている。それと同じシチュエーションだが鯉幟が加わった。映画のシーンと重なり、爽やかな感動を催す道具立てが見事。
お寺山片言鳴きの経読鳥 (無点)
経読鳥 (きょうよみどり)は鶯の異名。鳴き声が「ホーホケキョ」と聞こえることからこの名がついた。鶯は異名の多い鳥で金衣公子、黄粉鳥、禁鳥、春告鳥、歌詠鳥、花見鳥などがある。早春の頃の鶯はまだまだ鳴き方がぎこちない。それが晩春、夏の季語とされる老鶯と呼ばれる頃には、ほれぼれするような美声を聞かせてくれる。掲句はその辺りの事情を詠んだが、惜しくも無点となった。経読鳥になじみが無かったのかもしれない。
以下次号、不定期掲載。
鑑賞ありがとうございます。
幸せの黄色いハンカチをBSで再放送してまして
ラストシーンに再び感動して一句詠んでみました。
何度見てもいい映画ですねー。
紙雛小さく飾りしふたりかな
鑑賞して下さりありがとうございました。
アイビーさんの推測、新婚時代そんなこともあったような、なかったような・・・(笑)
この句は八十代のご夫婦にお呼ばれで行った時のこと、落ち着いた居間の飾り棚の上に、掌に乗るほどの小さい紙のお雛さまがあり可愛くて、お二人には息子さんが一人、たった一人のお孫さんも男の子で「これまでお雛さまは飾ったことがなかったけど、先日郵便局に行ったら、これ売っていたので買ってきたのよ」と嬉しそうに話す奥さん、ニコニコ聞いているご主人。雑誌のおまけで貰えるようなお雛さまでしたが幸せオーラいっぱいでした。
鑑賞ありがとうございます!
アイビーさんの読み通り、いつものうちの風景です。
虫さん達も土から出てくるのに自分でなかなか起きれない息子です。
困っています( ̄∇ ̄)