アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
内裏雛ボーンチャイナの玉の肌 (ダイアナ)
ボーンチャイナとは製陶原料に牛の骨灰を混ぜて焼成した陶器で、同じ白でも質感と温かみのある白が特徴。お雛様の白い肌をボーンチャイナに肌理に喩えた。ちょっと思いつかない意外な取り合わせだが、言われてみればなるほどと首肯される。しっかりした写生あればこその比喩だろう。
廻り来る3.11凍返る (ナチーサン)
東日本大地震は2011年のこと。もう13年経ったかというのが正直な感懐だ。しかし、その爪痕はあまりにも大きく、今なお故郷に帰れない人々。今年もあの3・11が巡り来た。季語の「凍返る」が利いている。「廻り来る」は「めぐりくる」と読みたい。
敷島の春は西からひろひろと (かをり)
敷島は我が国の古称。句意は春は西の方からやって来るという、ただそれだけの意味だが、「ひろひろ」と擬態語を使ったところがこの作者一流の感性。「ふわふわ」でも「ほかほか」でもなく、あくまで「ひろひろ」なのだ。これが分からない人は、かをりワールドへのパスポートが得られない。
たんたんと進む葬儀や寒戻る (力丸)
かつて葬式といえば地域社会が総出で営むのが常だった。最近は葬儀社に一切お任せのスタイルが殆んどだ。隣組でやっていた時代の事を思えば格段にシステム化され、スマートに進行する。言葉は悪いが、ベルトコンベアに乗ってれば事は終わってしまう。かくて葬式は滞りなく終了したが、折からの寒の戻りが一入身にこたえる。作者の意図はどうあれ、現代の社会に対する文明批評にもなっている。
雛祭り母の温もり伊賀饅や (無点)
惜しくも無点となったが作者の意図はよく分かる句だ。座五に切れ字の「や」を置くのは事例が無いこともないが、一般的ではない。俳句の坐りが悪いような気がする。こういう場合は、語順を変えて見るのも一つの方法だ。伊賀饅に母の温もり雛祭
別ルート辿り眼福花ミモザ (無点)
カーナビの指示する道とは違う道を行ったため、思いがけずモミザの黄色い花が見事に咲いているのに出合わせた。この感動を句にしたが、惜しくも無点となった。欠点というほどの欠点は思い当たらないが、強いて言えば「眼福」が句を重くしているような気がする。思い切って軽いタッチで詠んでみると カーナビの教へぬ道に花ミモザ
アイビーの俳句鑑賞、完
かをりさんの句
敷島の春は西からひろひろと(かをりさん)
「ひろひろと」という措辞が素敵で心に残るのですが、その意味を説明できなくて、辞書にも載ってないし、最後まで迷ったあげく捨てがたく選句させていただきました。 アイビーさんの鑑賞『あくまで「ひろひろ」なのだ』ときっぱり言われると「あーそれでいいんだ!」と納得しました。
今朝(27日)の天気図を見ていて、低気圧の前線がずっと東へ去り、西から高気圧が日本列島をあまねく覆い、暖かそうな天気図。これを見て「ひろひろ」はこのようなことかな? と思い一人合点しております。素敵な句をいただきました。
アイビーさん、ほめすぎですよ。
敷島の春は西からひろひろと 韓国の陰青と知らざり
と77読みましたが、どうも敷島と韓国(からくに)と気持ちが分散してしまいました。
雛祭り母の温もり伊賀饅や (無点) 雛の膳煮しめに母の割烹着 かをり
この無点句をとりあげたアイビーさんの慧眼。常に母は偉いのです。母の温もりは色々できます。
追記 尾花さん、「ひろひろ」は春の大地の広がりとか風の緩やかさ(等圧線の幅もそうですね)、花、蝶のひらひらとか、記憶の潜在意識にぽっとでたオノマトペ。
オノマトペはありきたりだと逆に難しいですね。
オノマトペプラス「と」で落ち着きます。 後はお好みの季語を入れれば・・・
今日の私は てつてつと教材を編む菜種梅雨 かをり