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スレッドNo.3658

季語あれこれ

季語について茶々さんの投稿を拝見しました。商品名がそのまま季語にならないことは言うまでもありません。「八十八夜」という商品名のお茶が季語にならないことは当然です。夏に限らず一年中あるのですから。
よく引き合いに出されるのが虚子の「道の辺の阿波の遍路の墓あはれ」です。遍路は春の季語ですが、遍路の墓は年中そこにあるのですから季語にならないと私は思います。ただ、相手がホトトギスの総帥ですから、私ごときが何を言っても始まりません。
その句が一物仕立てか、二物取り合わせかで解釈が変わることはあります。同じ虚子の句で「これからは恋や事業や水温む」の句は二物取り合わせの句です。水に関係のある池や川が出てきません。句の内容と関係なく季語が存在します。これに対し「わが顔を映して水の温みけり(青柳志解樹)」は一物仕立ての句で、顔を映しているその水が温んでいることになります。
芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」最初は「古池に蛙飛び込む水の音」だったと聞きます。つまり最初は一物仕立ての句だったわけです。蛙が古池に飛び込んだ結果、水音がしたという解釈になります。推敲の結果、切れ字の「や」で切って「古池や蛙飛び込む水の音」と二物の句になりました。この結果、蛙が飛び込んで水音ががしたことと古池は関係ないことになります。結果的には蛙が飛び込んだのは古池だったかもしれませんが、二物取り合わせとはそういうことです。

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アイビーさん懇切丁寧な解説をいただきましたのに、小生の老化現象か理解に苦しむ一面もありましたが、本日NTTさんのパソコン教室の授業がありましたので、話題にしましたら、すべて氷解いたしました。アイビーさんありがとうございました。
 ゆっくりして夏井先生の解説も読んでみたいと思っています。また八十八夜の商品も掛川に売っていることがわかりましたので、買って飲んでみたいと思います。貴重な紙面をお借りして申し訳ありませんでした。重ねて御礼申し上げます。

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