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スレッドNo.3823

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

人生は今を起点と夏つばめ (ナチーサン)
忙しく立ち回る燕。文字通り、ひっきりなしである。勤勉で律義な日本人の琴線に触れる鳥だ。そうした燕の様を定点観察した作者のナチーサンさん、胸中深く感ずるところがあった。同時に、人生今からの思いを強くしたことでもあった。

語るべき夢には非ず明易し (和布)
夜が明けるのが早い。束の間に微睡む作者の夢。もとより夢とも現ともつかない夢だけに、記憶も定かではない。どちらにしても、人に言うほどのことではない。一年中で最も夜が短いのは夏至の頃だが、気分的に夜が短いと感じるのは夏至より少し前の時期になる。そんな季語が「明易し」「短夜」で、両者は同じ意味だが微妙なニュアンスが違う。この句の「明易し」の使い方は上手いと感じた。

老いの身を案ずる如く雨蛙 (茶々)
田んぼなどで雨蛙が鳴いている。普通に聞けば煩いだけだが、作者はこれを「老いの身を案」じてのことと感じ取った。同じ現象を見ても、個々の主観で解釈は変わる。いずれが正解とも断定できない。蛙が鳴いたから、ステレオタイプでと煩いと決めつけるのはむしろ有害だろう。

一缶のビール夫婦で分かち飲む (ヨシ)
作者夫婦の場合は全く酒を受け付けないのとは違うようだ。それでも一缶のビールを一人では飲み切れず、二人で一缶というところが微笑ましい。単なるビールの句ではなく、バックにある夫婦の円満な関係までが見て取れるのだ。ほのぼのとした味わいの佳句。

どうしてる自転車の旅老いの夏 (無点)
惜しくも無点となったが、理由を一緒に考えてみたい。第一に気づくのは三句切れの句だという点。このため焦点が定まらず、取り止めのない印象になってしまった。「5・7・5」の上の「5・7」か、または下の「7・5」を意味の上でも文法的にも繋がるようにすれば三句切れは解消できる。座五以外の俳句の切れは1つだけと憶えておきたい。

青梅の青際立つや雨上がり (無点)
この句も無点となってしまったが、特に致命的な欠点は見当たらない。強いて上げれば「青梅」と「青(いろ)」と同じ青が出て煩わしい感じになったぐらいか。アイビー流に詠むと  梅の実の青よみがへる雨上がり

命日やカレーライスと薔薇供へ (無点)
この句もいい味を出しているのだが無点句となった。特にカレーライスを出したのは、故人の好きだった食べ物を暗示しているのだが。ただ命日だけでは漠然としてる印象だ。具体的に「母の忌」あるいは「父の忌」としたらよかったかもしれない。

アイビーの俳句鑑賞・完

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