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スレッドNo.3944

アイビーの俳句鑑賞 その1

アイビーの俳句鑑賞 その1

蓮咲けり三河一揆の寺の堀 (森野)
安城市の浄土真宗の本證寺に吟行したものか。徳川家康に反旗を翻した一向一揆。その際には一揆側の中核寺院として、信徒の拠りどころとなった。家康も若い頃は、一向一揆には手を焼いたのだ。一揆の激しさは今もって語り草となっており、物見用の隅櫓に往時が偲ばれる。その時の堀を利用しての蓮の花が名高い。季節になると近在から蓮を見る人でごった返す。

袖振りて蹴つたたくれば郡上踊り (えっちゃんあら)
郡上踊りとは気の早い気もするが、なにせ足掛け3か月に及ぶロングラン。観光客は、最初は見様見真似で踊りに加わるのだが、そのうちにコツがわかってくる。要は浴衣の袖を振り、時々その場で大地を蹴る仕草を繰り返せば、それらしい恰好がつく。そんな郡上踊りの光景をユーモラスに詠んだ。ただ、中七にすこし工夫をしてみたい気がする。アイビー流に詠めば、「袖を振り蹴れば郡上の踊りかな」

汗拭いて今日の仕事を締めくくる (ABCヒロ)
額に汗して働く、いわゆる肉体労働に携わっている人の日常の一コマを切り取った、そんな印象を私は受けた。律義な職人気質。丁寧に汗を拭き、明日の段取りを考え、服装を整え今日一日を締めくくる、そんな人物像が浮かんでくる。ひとつの俳句から、いろんな想像を掻き立てる、これも俳句の醍醐味だろう。

夏休寝る度に背の伸びる吾子 (コビトカバ)
夏休みの句であれば、林間学校、自由研究、絵日記、宿題、おばあちゃんの家とかが定番の発想だろう。そういう月並みな発想から抜けて、夏井いつき流に言えば「脱ボン」に成功した句。「寝る度に」は母親ならではの描写で、実感が籠っている。私が特選にいただいた句。

鳶舞ふや限界集落栗の花 (和談)
過疎化の進行で共同体として成り立たなくなった地区を限界集落と言う。この言葉自体が生まれたのが、比較的最近のことのように思う。しかし、鳶が舞い、栗の花が何時に変わらず匂っている。何時に変わらぬ村の佇まいだ。だが、こうしている間にも過疎化の進行は、間違いなく進んでいるのだ。季語の斡旋が適切だ。

汗の子をあやせる母も玉の汗 (白玉)
汗という言葉が二度 使われ心地よいリズムを生んでいる。おまけに汗、あやす、母、玉の汗と使われた言葉がすべて「あ行」で始まる。このため独特の韻律を生んでいる。隅々まで注意力の及んだ推敲に敬意を表したい。読んでみてのリズム感、韻律これも俳句鑑賞の大事な要素だ。

労働を終え母は子と夕茅の輪 (無点)
惜しくも無点句となったがなかなかによい光景の句だ。上五に「労働」は少し違和感があるように思う。ここは穏当に「仕事終え」か「勤め帰り」としてみたい。座五の「夕」は仕事帰りと言っているのだから必要ない言葉だ。もっとも字数の関係でやむをえなかったか。アイビー流に詠めば 「母と子の仕事帰りの茅の輪かな」

以下次号に続く、不定期掲載。

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アイビーさん、更なるアドバイスありがとうございます‼️🙇
私も前回の自分でコメントを書いていて母の疲労を書けばいいのかな❓️とよぎりました。更に推敲してみます😃🙏

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えっちゃんあらさん、櫓の上で唄をうたったったのですか。流石は物怖じしないえっちゃんだけのことはありますね。
コビトカバさん、脱ボンが目標だそうで、着々と成果が上がっていますね。
ダイアナさん、たしかに昭和30年代、40年代の親はそうでした。額に汗して働く両親の姿を見て子どもは育ちました。労働という言葉の響きに違和感を感じたので申し上げましたが、とおり一遍の「仕事帰り」では意を尽くせない気持ちはよくわかります。でも、仕事帰りはそのままにして、疲れを前面に出したらどうでしょう。疲労困憊にもかかわらず茅の輪に連れて行ってくれたお母さん。

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アイビーさん鑑賞ありがとうございます。毎年郡上踊りに行って踊ります。先日郡上の浴衣👘着て矢倉で郡上の唄歌ました。

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アイビーさん。鑑賞ありがとうございます。郡上の作句は毎年詠みますがいつも類句のような気がしてます。でも本人は毎年郡上に踊ります。先日も友達が郡上始まりのパレードに参加してます。郡上の大会で優勝しているからかなと思ってます。私も近場で郡上の名前入りの浴衣👘で踊って矢倉?で唄も歌ってしまいました。また来年も郡上の俳句は類句になるけど詠みます。

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アイビーさん鑑賞、そして特選に選んで頂きありがとうございます!
脱ボンは私の課題なので、そう言って下さりとても嬉しいです^_^
子供は夏休みが終えて2学期が始まるとかなりでっかくなってる感じがします。
寝る度に伸びてるよね?!といつも感じていました(^◇^)

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アイビーさん、労働の~の句を取り上げて下さりありがとうございました。ご指摘の「夕」は不要については選句の段階で読み直し、自分でもそう思いました。労働を終え母は子と茅野輪かな、で自分は納得なのですが、どうしても労働という言葉は私もひっかかります。でも、この句は私の母の事で、母は本当に体を使い働いていました。父もですが。昭和30年代、40年代の大人たちは体を使って仕事をしていた人も多いと思います。疲れた体でも子供たちを茅野輪潜りに連れて行ってくれたという感謝の意味なのです。労働という言葉に代わる俳句に相応しい言葉はなんでしょうか?やっぱり仕事でいいのかしら?

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