アイビーの俳句鑑賞 その1
アイビーの俳句鑑賞 その1
声あげて泣きたくなりぬ秋の能登 (えっちゃんあら)
自由奔放に言葉を駆使する作者が、まさにツボにはまった一句。少々の瑕疵はものともせず、圧倒的なパワーでもって共感を呼んだ。上五、中七の「声あげて泣きたくなりぬ」はそれほど迫力のある表現なのだ。
風なびく手折れぬ強さ尾花かな (ヨヨ)
尾花は「すすき」のこと。野山に風に揺れている様は秋を感じさせ、風情のあるものだ。風が吹けば薄は靡く。風が強ければ強く、弱ければ弱く靡くが、決して折れることはない。薄の嫋やかな強さに作者、読み手の側も実生活を重ね合わせ、共感するのではないか。つまるところ、俳句はどれだけ読み手が共感できるかに尽きる。
赤い羽根小銭なき日の遠まはり (いちご)
ボーイスカウトなどが「赤い羽根」の共同募金を募っているところに出くわした。善意の人とは言っても、まさか一万円を出すわけにはいかない。そこで、少し気はひけるが迂回する。吝嗇ではない、小銭がなかっただけのことなのだ。誰にでもある、そんな心理をうまく表現した。ほどよいユーモアを感じさせる一句。
秋終へし野を広げいる古戦場 (森野)
どこの古戦場であろうか。古戦場と言うからにはかなりの広い空間であろう。多くは田んぼや野原であろうが、秋の収穫の終わった今は、それ以上の広さを感じる作者。「広げいる」に広獏たる感じがよく出ている。ただ、上五の季語は「晩秋の」ぐらいに留めておきたい気もする。
里芋の煮ころがしは母の味 (ふうりん)
よくあるパターンと言えばその通りだが、おふくろの味を求める中年男性にとっては、たまらない共感を覚える一句。舌を噛みそうな名のフランス料理より、里芋の煮ころがしの方に世の男は郷愁を覚える。時代遅れと言われようが、好きなものは好きなのだ。
花魁の簪装う曼珠沙華 (茶々)
曼殊沙華のユニークな花弁を、簪に喩えたところが秀逸。しかも、ただの簪ではなく、花魁が頭に差す簪なのだ。比喩の句は暗喩と直喩があるが、いずれも読み手が「なるほど」と納得できる比喩でなければならない。当たり前すぎてもいけないし、奇抜な比喩では読み手の共感が得られない。そこへ行くとこの句は申し分ない。
以下次号、不定期掲載。
アイビー主幹さん簪の句を取り上げていただき有難うございました。初心者故喜びひとしおです。
花魁は、かって京都の花魁道中で観賞いたしました。八の字を書くように歩く姿が目に浮かびます。
江戸時代大門界隈の花街で活躍し、時代の変化につれて簪も沢山挿すようになったようです。時のファッションリーダーとして
庶民の憧れの的でもあったらしい。(出典 Youtyubeより)
アイビーさん、下五秋の能登を鑑賞していただきありがとうございます。二度の試練もなぜ能登だけなのかと友達の実家が輪島の朝市の有名なお菓子屋さんでした。何も役にたてない気持ちをそのまま俳句にしました。