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スレッドNo.4462

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

さつまいも包める地方紙皴伸ばす (石原)
近頃は新聞を取らない家が多いと聞く。新聞はニュースを読んだ後、この句のように、何かを包むのに便利だ。昔は商店などでも新聞紙を切って商品を包んでいたものだ。さつまいもを誰かにおすそ分けするのに、古新聞はまことに具合がよい。新聞紙は「地方紙」、あるいは「皴伸ばす」と具体的なところを描写したことで、この句に血が通ったのではないか。

行く秋の潮の眩しさ両津港 (かをり)
佐渡島の両津港の晩秋を詠んだ句。両津港という固有名詞を出した。固有名詞を出す利点は、読み手の側の予備知識を生かせることだ。佐渡へ行ったことのある人にとって両津港はどんな所か分かっている。そうした共通のイメージを最大限、活用したところが上手い。ときにかをりさん、佐渡にも銘酒があるようですが、いかがでしたか。

曼珠沙華ぢつと蜂起の時を待つ (無点)
以下の句は惜しくも無点となってしまったが、見るべき点が多々ある。この句なども無点となった理由がわからない。曼珠沙華の赤と革命の一斉蜂起に喩えは説得力がある。点が入らなかったのは、不運としか言いようがない。

バイクの娘のシャツ翻る秋の風 (無点) 
眺めているだけで、秋の爽やかさを感じさせる句だ。バイク、娘、シャツ、翻る、秋の風と雑多な要素を17文字に押し込めなくてはならず、作者は苦労したろう。どれか一つを割愛すれば、ぐんと楽になるのだが…。「娘」一文字で「こ」と読まなければ定型にならない。歌謡曲で「こ」と読むケースはあるにはあるが。

稲刈りは親父任せと松手入 (無点)
あまり拘るべきではないかもしれないが、稲刈りと松手入は季重なり。どちらか言い回しを少し工夫すれば回避できたのに、勿体ないことをした。

窓を座す施設入居の秋夕焼 (無点)
この句は、自分以外の誰かが施設に入居しているのであろうが、やや分かりにくいようだ。作者自身が施設に入居したとも解釈できるのだ。「窓を座す」の表現も一考をされたい。アイビー流に詠めば 窓開けて入居者見入る秋夕焼→入居者のぢつと見てゐる秋夕焼→老人のぢつと見てゐる秋夕焼

潮流を昼夜泳ぎて来ばかりし秋刀魚 (無点)
黒潮に乗って回遊する秋刀魚。私たちの食卓に上るまでに、長い時間をただひたすら泳いできた秋刀魚。趣旨はよく分かるのだが、あまりに沢山の要素を盛り込み過ぎて、散文的になってしまった。散文的ということは、説明的と言い換えてもよい。俳句は、何が言いたいかではなく、何を捨てるかと私は思うのだが…。

濁酒売る店主(おやじ)はいごつそぶつきらぼう (無点)
いごっそうは土佐人特有の気性。惹かれるもの がある句だが、いかんせん、棒のように続けた為に、メリハリに欠けるというのが私の感想だ。出だしの「濁酒売る店主」を「どぶろくや」できれば随分印象が変わると思う。アイビー流に詠めば  どぶろくや店主(おやじ)いごつそで愛想なし あるいは調子を整えるために「いごつそ」に変えて「無口で」とするか。

アイビーの俳句鑑賞;完

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窓を差す施設入居秋夕焼けを取り上げていただきありがとうございます。義父の施設入居でした。作句するのに義父見舞って帰る時ふとベッドに寝てる義父に窓ごしに夕焼けが差して欲しいと。。。もっと俳句を勉強したいと思います。

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