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スレッドNo.5093

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

末黒野や向かい側には新工場 (ちとせ)
春に害虫などを駆除するため野を焼き払った後を末黒野(すぐろの)と言う。雑草やら芒が黒焦げになっている。今も農村では部落総出で行うところが多い。農業従事者にとって、「また一年仕事が始まるのだなあ」と実感する行事だ。そんな農村にも開発の波は否応なく押し寄せる。真新しい工場が、焼野の真ん前に建設された。近代的な工場の威容と殺伐な焼野、対照的な景色は作者の創作意欲を刺激する。

茶柱のすっくと立ちて利休の忌 (ナチーサン)
時の権力者・豊臣秀吉の怒りを買い、千利休が切腹したのが2月28日(旧暦)のこと。なぜ秀吉の怒りを買ったのか、真相は藪の中だ。それゆえ様々な小説や戯曲に取り上げられてきた。しかし今日、茶道の体系の確立者として、表、裏、武者小路の三千家の祖として名声は地を覆う。この句は一見、何の関係もない茶柱を「すっく」と立たせたところが、巨大な政治権力に一歩も引かなかった利休の生きざまと重なる。茶柱と茶道、近すぎるという見方もできることはできるが…。

初場所や寝たきり母の指動く (ふうりん)
相撲のテレビ放送に、寝たきりのお母さまも熱が入り、動くはずのない指が動いた。寝たきりになっても大好きな相撲だけには反応するのだ。病状は一進一退なのだが、相撲には興味を示すお母さま。息子として、何時も傍に居てやるわけにもいかないが、少しだけ親孝行をした気分になる。誰でも避けられないことながら、衰えゆく肉親を見つめる作者の眼差しが暖かい。

リフォームの釘打つ音や日脚伸ぶ (ヨシ)
「日脚伸ぶ」という季語は、冬至が済んで「だんだん日が長くなったなあ」という、多分に気分的なもので、冬の季語になる。具体的には、日の出、日暮れの時刻から感じる。主に視覚でそれを感じるが、作者は聴覚でも感じた。リフォームの工事現場で釘打ちの音から「日脚が伸びた」ことを感受した作者の俳句センスは貴重だ。

神妙に噴き出しさうに恵方巻 (にゃんこ)
スーパーやコンビニは節分が近くなると、というより正月が終わると、もう太巻き(恵方巻)の宣伝を始める。あの太巻きの食べ方にも作法があるらしく、その年の恵方に正対し、太巻きは丸のまま食べるとかいうあれだ。作法に従いこれをやる。途中でふっと吾に返ると、間が抜けてるというかバツの悪い思いをする。どこの家庭にもある一コマを切り取って句にした。最初は真面目くさってやるところが可笑しい。

大雪や逆さ金閣鏡湖池に (茶々)
金閣寺(鹿苑寺)の境内にある池を鏡湖池(きょうこち)と言う。雪の金閣寺、鏡湖池に映る金閣寺が美しい。ハッと息を吞むような美しさで、絵画的な構図だ。ただ、これだけに留まっていてはいわゆる絵葉書俳句の誹りを免れない。免れた所以は「逆さ金閣」という言葉を入れたことに尽きよう。「逆さ金閣」そのものは既にあるフレーズだが、出自はともかく俳句に取り入れたセンスが良いと思った。

裃の息子声張り豆を撒く (ダイアナ)
息子さんは地域社会の中核に差し掛かる年代と推測される。息子さんが幼かった時、学生時代、そして結婚など様々なことが思い起こされる。それにしても頼もしく成長したことよ。そんな思いが去来するなか、裃に威儀を正した息子さんが、ひときわ声を張り上げて節分の豆撒きをしている。作者は群衆の一人として見守っている。

以下次号、不定期掲載

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アイビーさん、鑑賞ありがとうございます。
以前はこの辺りでは恵方巻の習慣はなかったように思いますが、すっかり定着したようです。恵方を向いて無言で一本食べるということらしいのですが、喋るなと言われるとかえって妙な緊張感があります。

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茶柱のすっくと立ちて利休の忌 (ナチーサン)
 アイビーさん、拙句に鑑賞いただきありがとうございました。ご指摘の通りこのことが気になりました。季語の斡旋の場合、「即かず離れず」を今年の課題として心かけて来ましたが思うに任せません。生け花と同じで、「主と添え」の関係を保つこと、二者が競合すると共倒れになり作品としては弱くなると。この句の場合季語の問題ではなく内容の問題と思われます。今一度推敲してみます。よろしくお願いいたします。
 ★山椿さはに見たりき利休の忌 (森澄雄)

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