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スレッドNo.6111

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

座りこみ土と格闘草むしり (ヨシ)
誰だって草むしりは重労働で、まして炎天下とあればなおのことだ。それを「疲れ」を前面に出して言ってしまえば、単なる報告に過ぎない。「土と格闘」と工夫したことで、立派な俳句になった。ほんのちょっとしたことだが。

新米や炊けましたよと今朝も鳴る (ラガーシャツ)
拙宅の電気ガマはそんな仕掛けはないが、作者の電気ガマは炊き上がると軽快な音で知らせてくれるのだろう。炊き立てのご飯、それも新米とあれば皆がハピーな気持ちにさせる。一日の始まる朝、朝飯が旨いと、今日も一日はりきって仕事をしようという気持ちになる。食べ物の句は、この句のように旨そうに詠みたいものだ。

風の盆踊りで恋す八尾人(やつおびと)  (ダイアナ)
越中・八尾の「風の盆」は根強いファンがいる。石川さゆりや菅原洋一の名唱でも知られる。独特の哀調を帯びた胡弓の音にあわせて踊る。これを「風の盆」と言う。人口2万人余の八尾町。風の盆以外に全国に知られた行事は無く、文字通り、町を挙げての催しなので、「踊りで恋す」という感じに説得力がある。一体によく知られた行事を題材にするときは、読み手の予備知識を活用するとよい。

猛暑でもお湯かけ菩薩涼し顔 (茶々)
この稿を書くにあたり「お湯かけ菩薩」なるものをネットで検索したところ、複数あることが分かった。伊豆・熱川温泉にもあるが、菩薩ならぬ七福神であることも。いずれ観光地の客寄せの位置づけと思われる。作者も湯治に行き、訪れたのかも知れない。早速その時の見分を句にした。上五の「猛暑でも」は句に理屈が入るので改めたい。第一、季語が二つになってしまう。季語は「涼し」に一本化してはどうだろう。「お湯かけて石の菩薩も涼しげに」

篝火や鮎に二か所の鵜の歯跡 (尾花)
「新走り」の句が入点を集めたが、ここでは「鵜飼」の句を取り上げてみたい。上五に「篝火や」と投げだしておいて、「なにが始まるんだろう」と読み手に思わせる、そのあたりの呼吸が見事。中七、座五に「鮎に二か所の鵜の歯跡」とタネ明しをして見せた。俳句のツボを心得た佳句だ。

ぬるめの湯浸かりて聞くや秋の音 (ヨヨ)
具体的に「秋の音(声)」が聞こえた訳ではない。目には見えぬが、気配とでも言うか、確かな秋の足どりを感じた作者。そのように思ってこの句を鑑賞すると、一際味わい深い。伏線として、上五の「ぬるめの湯」がまことに良い味を出している。

おやおやと案山子の軍手填(は)め直す (玉虫)
収穫を控えた田園風景。役に立っているのかよく分からないが、あり合わせの古着を着た案山子も立っている。よく見ると案山子の軍手が外れている。中の骨格がムキ出しになっている。それを黙って填め直してやる作者。
思わずホッコリさせられるホッコリ系の俳句。
猫じゃらし見ると抜く癖廻す癖 (玉虫)
9月句会の巻頭の句。何気ない仕草の中に「ある、ある」と読者の共感を得たのだろう。猫じゃらし自体はありふれた草だが、たしかに作者の言う通り見れば抜き、抜けば回してみる。そういう事はよくある。

以下次号、不定期掲載。

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アイビーさん新米の句鑑賞ありがとうございます。
  何気ない生活の中でふと気づいたことを詠んでみました。
  それを上手く観賞していただきありがとうございます😊
  

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今月はなんと言うことか!
思いがけなく点を頂きました。
田園地帯に暮らし、猫じゃらしも案山子も自らの日常。
最近は特に
作句に迷い悩みの真ん中。
諦めかけた時に思いがけないことでした。
皆様、励ましていただき、ありがとうございました。
私らしい句を探してまいります。

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アイビーさん、鵜飼の句の鑑賞をありがとうございます。

繋留された舟から篝火に鵜飼を眺めていると、見物の舟の近くを鵜匠の手綱に操られながら鵜とともに舟が通り過ぎます。鵜の泳ぐ足までしっかり見え嬉々として泳いでいきました。そして鵜飼が果て夜風の余韻に浸っている頃〝今鵜が捕った鮎です″と言ってバケツに入った鮎が回ってきました。活き活きとした鮎ではなく弱りきったあるいは死んでいるような鮎だったので、美しくも美味しそうでもなく淋しい思いになりました。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年09月18日 14:39)

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