アイビーの俳句鑑賞 その3
アイビーの俳句鑑賞 その3
病棟の九時は真夜中蚯蚓鳴く (まる)
まるさんと和談さんは、投句の内容から見て、入院しておられたようで、知らぬ事とは言いながら大変失礼しました。その後、体調はいかがでしょうか、お見舞い申し上げます。病棟の夜は早い。消灯後の九時はすっかり睡眠モードで、時折トイレに立つ人のスリッパの音がするばかりだ。季語に「蚯蚓鳴く」を持って来た。秋らしいしみじみとしたムードを醸しだしている。作者が考え抜いて決めた季語、これ以上何を付け加える必要もない。
空澄みて縄文土器の並ぶ館 (みにょん)
「空澄みて」という季語があるかどうか知らない。だが、「空が澄む」ことと、「縄文土器」が並ぶこととは直接には関係ないから、ここははっきり二句一章の形をとりたい。上五は明確に切れを入れて「秋澄むや」としてはどうか。「や」切るということは、いろいろほかに述べたいことはあるけれども、以下省略ということだ。省略を利かせれば韻文らしさが出る。逆の場合は散文的になってしまう。「秋澄むや縄文土器のある館」
退院し空気の美味き赤トンボ (和談)
まるさんともども退院おめでとうございます。上の句と同様に若干、散文的なのは、上五の「退院し」としたことが説明調だ。ここはぼんやりと「退院の」と受けてみたい。代わりに中七に切れをいれて「退院の旨き空気や赤トンボ」とすれば韻文らしくなるのではないか。
とぼとぼと歩く残暑を引きずって (にゃんこ)
上五の「とぼとぼと」は下五の「(残暑を)引きずって」を効果的にするための伏線。いつまでも暑さが続く毎日への「うんざり感」がよく出ている。もっともこのそのほかの秋の景物、例えば「夜長」「虫の音」などは例年通りだが。
出会ひたる団栗ひとつポケットに (ナチーサン)
拾った団栗をちょっとポケットに入れてみる、そんな経験は誰にでもある。ポケットに入れてどうする、何のおまじないかと問われても返事に窮するのだが。何気ない人間の動作に焦点を合わせた句。ただ私としては、「出会ひたる」は少し大袈裟な気もするが。
嫌ひとは好きといふこと出会ひたる晩稲刈 (かをり)
アフォリズム(警句)+季語のパターンの句。「嫌い」とは「好き」の愛情表現だと言っている。意味深長なフレーズだ。季語がまた、一切関係の無い稲刈りときた。しかもただの稲刈りではなく、晩稲(おくて)ときた。ますます、意味深長だ。正直なところ、私の手に負えない。しかし惹かれる句だ。
大小と値札較ぶる秋刀魚かな (八坂)
今年は久しぶりに秋刀魚が豊漁と伝えられる。かつて、大衆魚の代表として君臨した秋刀魚だが、近年は高級魚とまでは言わないが地位も値段も相対的に上がった。秋刀魚の大きい、小さいと値段を見比べる、庶民の哀歓が上手く表現されている。願わくば、昔のように庶民の魚として秋刀魚の復活が成りますように。
以下次号、不定期掲載。
出会ひたる団栗ひとつポケットに (ナチーサン)
アイビーさん、拙句の鑑賞有り難うございました。今日もサロン活動(年寄りの居場所づくり)のため約1km弱を徒歩で出かけました。
歩道にはマテバシィの並木があり団栗だらけ。朽ちる運命の数多の彼らを何とか句にと「躓きし」「・・・」などメモしましたが
思うに任せません。集会は来週もありますので何とかと思っています。
アイビーさん、拙句鑑賞ありがとうございます。
彼岸に入り、やっと涼しくなってきました。
今は夏の疲れがどっと出て、相変わらずとぼとぼ歩いていますが…。
ま、ぼちぼちと進んでいきます。