論語でジャーナル
19,子曰く、君子は能(のう)なきを病(うれ)う。人の己れを知らざるを病えざるなり。
先生が言われた。「君子は自分に能力がないことを気にかける。しかし、他人が自分を認めないのを気にかけない」。
※浩→有徳の君子の必要条件として、「人の己を知らざるを憂えず」は『論語』で繰り返して語られています。まず「学而篇」の冒頭の、「学びて時に之を習う、また説(よろこば)しからずや。……人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや」とあり、「憲問篇」にも、「人の己を知らざるを患(うえ)えず、その能わざるを患うるなり」とありました。私は何しろ、“見栄の大森”の異名をとったくらいですから。『論語』を読むたびに、「人知らずして慍らず」とありたいものだと願っています。しかし現実は、講演や講義が終了したとき、出張の場合は必ず拍手があったのに、現在の勤務校(10月で形式上はやめました。ボランティアでひそかにサポートのための講義は月1回にして継続しますが)で全職員対象の研修会があったとき、約90分の講演のあと、パラッとも拍手がなくて、さすがにがっかりしたことがあります。この8月は大丈夫で、しっかりありました(笑)。でも、来年はやりません。「人の己れを知らざるを病えざるなり」が登場するたびに“反省!”です。過去に“見栄の大森”を一番印象づけた出来事は、在職中、一時、進路指導課にいたときのことです。それまでは、母親が毎日の手作り弁当を作ってくれていて、お昼は大丈夫でしたが、高齢化にともなって、お弁当作りがしんどいと言うのでやめることになりました。そのため、お弁当屋さんから配達してもらったり、職場の近所の食堂や喫茶店に同僚と食べに行ったり、“ホカ弁”を買いに行ったりしました。外へ出ると時間を喰うので(これは安楽を求めるライフスタイルか)、配達してもらうことがほぼ定番になりました。当時、350円くらいの「満食」のお弁当を多くの先生方が利用されていました。そういう状況下で、私は、近所のお寿司屋から、1000円くらいの「上ちらし寿司」を配達してもらって、悠々といただいていました。このとき“見栄の大森”を自分で認めました。隣席のS先生(←この方は、備前高校でも先輩の同僚でボート部の顧問のお1人でもありました。進路指導課から教育相談室長に移動されて、その後、以前から相談室を希望していた私を即引き取ってくださった大恩人です。おかげでこんにちがあります。)は、自分は“ヒガミのS”だとおっしゃり、向かい席のY先生は、自分は“あきらめのY”だとおっしゃいました。この短いニックネームに、各自のライフスタイルが本当によく表されています。Y先生のニックネームが一番“わびさび”が効いていて、人生をすでに達観されているようで、なんとも素晴らしいです。進路指導課の重要な業務として、「求人票」の製作がありました。Y先生が進路指導課に見えるまでは、すべて手書きでしたが、彼は電気科の先生でコンピューターに堪能でしたから、電子化に着手されました。ある日、残業してデータを打ち込んでいて、ほぼ終了というときに、用事ができて立ち上がった瞬間、足下の電源コードを引っかけて、コンピューターのデータがすべて消えてしまいました。Y先生は、静かに着席して黙々と、最初から打ち直したそうです。「有能な人」というのはこういう方のことだと思います。そういえば、野田先生は、原稿用紙500枚書くコツは何かとおっしゃっていました。「わー大変だ」と己れの運命を嘆いたりしても何も始まりません。原稿用紙を広げたら、まず最初の1文字を書くそうです。そしたらまた次の1文字を書く。そうしていくうちにだんだんでき上がっていく。これしかないとおっしゃいました。Y先生は、まさにこのとおりのことをなさっていたのです。“見栄の大森”はきっと生涯治ることはないと思いますが、ときどきこういうことを思い出しては、自分への戒めにしています。