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責任とは?

Q 
 子どもの喧嘩は子どもの課題だと言われますので放っていますが、妻が「何も言わないのは無責任だ」と言います。そこで、子どもに「どうしてほしいの?」と聞くと、「お姉ちゃんが叩いた」と言うので、「ああそうですか」と答えることにしています。あまり泣きわめくと、こっちの感情がイライラするので、その場を離れるようにしています。これって無責任でしょうか?

A
 責任て何か?日本人は責任という言葉が何かよく知らないで、「責任を取れ」とか「無責任だ」とか言っている。もともとの英語はresponsibility。つまり、「反応すること」です。アドラー心理学の考え方では、「状況が求めることに対して的確に反応すること」です。
 状況が求めることって何か。子どもがきょうだい喧嘩をしているとき、状況が何を求めているのか?状況が何を求めているのかが一番よくわかるのは、言葉で頼まれているときです。子どもが、「僕たちの力では喧嘩をやめられない。このままでは殺し合いになるから止めてほしい」と言われたら、状況が求めているから、「じゃあ止めましょうか」となる。
 状況が黙っているとき、ひたすら喧嘩をしているときは状況は求めていない。でも、あのまま喧嘩していると家具を壊しそうだというときは、家具が求めている。それなら家具さんの立場に立って、「喧嘩はいいけど家具は壊さないでね」と言うかもしれない。テレビを見ていて、向こうで喧嘩していてうるさくて聞こえない。これも状況が求めている。「喧嘩しているのはいいですけど、もう少し静かにしてください」と言うかもしれない。そうなると責任を持って行動している。状況の求めに応じて反応しているから。
 子どもが喧嘩しているのをいきなり止めに入ると、まず状況が求めてないことをしている。「喧嘩をどういうふうに展開していくか」というのは、子どもの課題です。子どもの課題というのは子どもの責任ということです。子どもが自分で反応しなければいけないこと。そこへ僕らが介入している。それは子どもに無責任を教育していることになる。喧嘩をマネージする、喧嘩を最後までやり遂げるのは大変偉大な仕事で、子どもにとって良いトレーニングになる。喧嘩から良いことも学ぶし、悪いことも学ぶ。もしも自然に喧嘩が起こっちゃったら、やり遂げたほうがいい。お姉ちゃんはきっと勝つでしょう。お姉ちゃんは勝ったことから学ぶ。妹はきっと負けるでしょう。負けたら負けたことから学ぶ。両方とも人生にとってプラスになることを学ぶだろうから、それでいい。そこのところは、子どもの責任でマネージしてほしい。口を出さないのが責任を取ったやり方です。
 次に、「何も言わないのは無責任だ」と奥さんがおっしゃる。これは何もこっちへお願いしてないみたい。「今日はいい天気ですね」と同じような、状況を叙述する言葉。『タクト』です。ご挨拶のような相手に何か要求していない言葉です。でもこれは、どうやらほんとはタクトでなくて『マンド』みたい。何か要求している言葉みたい。そういうときは、「あなたは私にどうしてほしいのですか」と聞いてほしい。「喧嘩を止めてほしい」と言われたら、「それはイヤです」と言う。でも、「それは無責任だ」と奥さんは言う。あることを、「あなた責任を取っているよ」「取ってないよ」とか、「それは素敵よ」「それは正しいよ」「それは間違っている」とか、人に向かって言うのはいいことではない。『You(あなた)メッセージ』だから。人のことを良いとか悪いとか判断しないほうがいい。どうしても判断したいんだったら、「あなたは無責任だ」と言わないで、「あなたは無責任だと私は思う」と言ってほしい。それだと勝手だから。
 なんで奥さんはこんな言い方をするかを、きっとこのご主人はそこのとこがわかっていない。他人を評価したり評価を相手に伝えたりするのはあまりいいことじゃない、アドラー心理学ふうじゃないということがよくわかっていないので、奥さんにまだそこが伝わっていないんじゃないですか。(野田俊作)

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治療者である喜び    野田俊作

山脈崩壊
2001年10月06日(土)

 奈良県の大峰山脈の、弥山から釈迦ヶ岳まで縦走をする。むかし、このルートを縦走したことがあるが、そのときはずっと雨の中だった。なんとか天気のいい日に歩いてみたいと思い、それから何度か挑戦したが、毎回天候にたたられて、断念して下山した。このあたりは日本一の多雨地帯で、麓が晴れていても山頂は雨だったりすることが多いのだ。
 昨夜、弥山の麓の河原でキャンプして、今朝早くから登りはじめた。4時間ほどの登りで弥山頂上に出て、そこから南へ向かって歩く。ありがたいことに快晴だ。途中の孔雀岳というところに水場があるので、そこでキャンプの予定だ。たいした距離ではない。のんびりと山の風景を楽しみながら歩きたいので、無理な計画は立てない。
 道が崩落している箇所がある。はるか下の谷まで、白い花崗岩が崩れている。数年前まではこういうことはあまりなかったのに、ずいぶん増えている。尾根付近はブナ林だが、麓のほうのスギやヒノキの造林の手入れが悪いので、地盤が悪くなっているためなのだろうか。見渡すと、あちらの斜面もこちらの斜面も崩れているところが目立つ。林業がふるわなくなった影響が、山を崩し谷を埋めていく。こういうことを、もっとみんなが知って、なんらかのアクションをおこしてゆかないといけないと思う。



ヒポタラムス
2001年10月07日(日)

 長い山道を登っていると、息が苦しくなってくる。歩調に合わせて呼吸を整えると、いくらか楽になる。それでも間に合わないときは、呪文を唱える。むかしの人は「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」などと言ったようだが、あまりスマートじゃない気がする。かといって、かわりの呪文も思いつかない。
 そんなことを思いながら、長い長い登りを歩いていると、いつのまにか心の中で「ひ・ぽ・たら・むす」と4拍子で唱えているのに気がついた。Hypothalamusというギリシア語のドイツ語読みだ。英語ではハイポセラマスと発音する。視床下部の解剖学名だ。なぜそんな単語が出てきたのかわからない。解剖学なんかには長いことご無沙汰で、この単語を最後に使ってから、すくなくとも20年は経っている。
 キャンプ地に着くと、仲間が、「とてもいいペースで歩いていましたね」と言う。ふうん、そうなのか。自分では、ずいぶんノロノロとしか歩けなくなったなと、すこし悲しんでいたのだが。「実は、ヒポタラムスという呪文が自然に浮かんできてね。これは、視床下部のことなんだ」と言うと、みんなは面白がって、「そのとき使われている部分が浮かんできたんだ」と言った。そんなことはないと思うけれど、まあ、そういうことにしておいてもいい。山歩きをすると出るといわれている脳内麻薬物質エンドルフィンは、視床下部から出たんじゃなかったかな。
 今日は一日中ガスの中だった。東から吹く強い風が尾根に当って霧になる。さいわい雨にはならなかったが、とても冷たい。しかし、不快ではなく、湿度が心地よい。風景は水墨画のようで、まったく幻想的な世界だ。



戦争なんだ
2001年10月08日(月)

 5日から今日まで山にいて、ニュースを知らなかった。山から帰る車の中でラジオを聴いて、戦争がはじまったんだと知った。あいかわらず、今回の戦争については、態度が決められない。テロは許せないと思うが、戦争でほんとうに問題が解決するんだろうか。
 アメリカ人は世界を知らない。たとえば、沖縄に米兵がいるが、キャンプの中は完全にアメリカだ。アメリカの食事をして、アメリカの歌を歌って、アメリカの言葉で話す。彼らは何年か沖縄にいるが、島酒も島唄も島口も知らないで帰国する。世界中、どこでだって同じことだろう。イスラムにも関心がないし、ハーフィズの詩にも関心がないし、ペルシア語(アフガニスタンの言葉もペルシア語の方言だ)にも関心がない。
 そういうことが、こういう悲劇の根本原因じゃないのかな。そういうことを改めないで、本当の解決があるとは、私は思わない。ま、アメリカだけじゃなくて、われわれ日本人だってそうなので、イスラムにもハーフィズにもペルシア語にも、もうすこし関心を持ったほうがいいと思う。



治療者である喜び
2001年10月09日(火)

 長い間、アドラー心理学伝統の公開カウンセリングの他は、個人カウンセリングはしないでいた。しかし、思うところがあって、個人カウンセリングを復活した。何人かの患者さんにお会いしたが、ありがたい体験をさせていただけた。患者さんも癒されたのではないかと思うが、治療者である私も癒された。
 人を援助できるということは、この上ない癒しだ。私はこの世にいてもいいのだと、理屈ではなく感覚として思える。いい仕事を選んだものだと思う。

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太陰暦    野田俊作

太陰暦
2001年10月02日(火)

 旧暦八月十六日だが、今日がほんとうの満月なのだそうだ。今夜も快晴で、ウォーキングしていると月が道を青く照らし出していた。私が住んでいるあたりは昔からの村で、街道から一歩横に入ると、まるで蟻のトンネルのように、曲がりくねった路地がある。しばしば行き止まりになったり、ぐるっとまわって元へ帰ってきたりする。昔の人は、どうしてこんな複雑な町作りをしたのだろう。
 私は釣りをするので、太陰暦はおなじみだ。回遊する魚(アジやハマチ)は大潮の時に釣れるし、底にいる魚(メバルやカサゴ)は小潮のときに釣れる。ついでに言うと、満潮の極や干潮の極で潮が動かないときは釣れなくて、潮が動く満ちきる前と引きはじめるときとによく釣れる。夜明け方と夕暮れ時に釣れる。これらの条件がうまく合うときはチャンスだ。
 登山も、太陰暦で考えると、月の満ち欠けと対応しているので便利だ。農業も太陰暦で考えるほうがいいと、どこかに書いてあったな。農業のことはよく知らないので、どう関係があるのかわからないが。物騒な話だが、戦争も月の満ち欠けを考えないといけないのだそうで、アメリカが戦争をはじめないのは、新月を待っているのだろうか。
 ともあれ、太陰暦というのは、自然と関係しながら生きるときには、太陽暦よりも便利だ。ところが、太陰暦カレンダーがけっこう入手しにくい。最近はインターネットにあるので、簡単に見ることができるのだが。
 釣りの話をして思い出したが、渓流釣りが9月末で禁漁期に入った。昨年は、冬の間は、近所の低山に出かけて暮らしたが、今年は海釣りに行こうかと思っている。両方はできない。海釣りはあまり運動にならないので、毎日のウォーキングをかかさないようにしないといけない。五十歳をすぎると、ちょっとサボると、すぐに筋肉が落ちる。来年の春の渓流釣りの解禁まで、現在の筋肉を保たなければね。



休日
2001年10月03日(水)

 今日は休暇をとった。土日に働いていることが多いので、水曜か木曜に休みをとる。いつもは山へ行ったり釣りに行ったりするのだが、今日は一日自宅にいた。もう渓流釣りも禁猟だし、山は週末に行く予定になっているし。自宅にいると、なにか書いているか本を読んでいるかすることが多いのだが、それもせずに、ただブラブラとしていた。疲れているんだろうか。とにかく、なんとなく何をする気もしないので、ボーッとすごした。
 むかしはこういうことができない人間だった。いつも動いていないと不安だったのだ。三十代の半ばごろから、のんびりするときはのんびりできるようになって、具合がよい。アドラー心理学を学んだことも関係があるし、瞑想するようになったことも関係があると思う。



人類学者の話
2001年10月04日(木)

 絵画療法を研究している友人が、遠近法を使った絵の描き方が普遍的でないことのたとえに、ある民族は、自分の家族の写真を見ても、それが家族だと認識できない、という話をしてくれた。話の出所は、おそらく人類学者の調査研究だろう。こういう話は、面白いだけに、注意深く理解しないといけない。
 まず、言葉がどれだけ通じているかが問題だ。アメリカ人の人類学者が日本に来て、日本人のインフォーマントに、「稲を食べますか?」と尋ねたら、インフォーマントは「食べません」と言うだろう。それなのに観察していると米飯を常食している。この事実から、この人類学者は、日本人のホンネとタテマエの使い分けについて、素敵な論文を書くかもしれない。「日本人は毎日ライスを食べているのに、尋ねると、ライスは食べないと言う。ここに日本人の心理的特性がある」というように。
 また、文化的・宗教的な文脈の問題もあるかもしれない。たとえばインフォーマントの宗教が偶像崇拝を禁止していて、家族の写真を撮ったりすることが宗教的なタブーになっているかもしれない。その他にも、無数の理由が考えられると思う。一枚の写真というものが持つ意味は、文化全体の中ではじめて決まる。だから、家族の写真を認識できないという事実が、遠近法の普遍性を否定する証拠になるかどうかわからない。
 こんなことは、レヴィ・ストロースが大昔に言っていることなんだけれど、人類学者のめずらしい話はあまりに面白いので、ついわれわれの文化の文脈で理解して驚いてみたり納得してみたりする。



枝雀
2001年10月05日(金)

 パートナーさんは桂枝雀が好きで、よく公演にも行っていた。彼が亡くなる寸前の公演のチケットを入手していたのだが、一度延期になり、二度目はこちらの都合で行けない日だったので人にあげた。亡くなったのを知ってから、無理しても行っておけばよかったと思ったが、後の祭だった。
 最近、『枝雀落語大全』というCDが発売され、その第1集10巻を買った。一枚に2つずつ入っている。彼女は、自動車通勤しているが、車の中で毎日それを聞いている。帰宅すると、口調がすっかり枝雀風になっていたりする。
 今日は彼女の車を借りて山に出かけた。大阪を11時に出て、目的地に17時に着いたので、6時間も枝雀の声を聞いていた。なぜ彼が芸に行きづまりを感じたのか、なぜ死ぬほどまで悩んだのか、落語を聞いているだけではわからない。たしかに、ウツ病者が死を思うときはすさまじく、医者や周囲がどんな努力をしても死のうとする。そういう状態だったのだろうか。
 まあ、それはそれとして、枝雀にせよ誰にせよ、CDやビデオの普及で、死んでからまで働かされる人々が増えた。アメリカに留学していたとき、10年以上前に亡くなっていた先生のビデオを使った講義があって、「まあ、あの世に行ってからまでご苦労さま」と思ったことがある。そういう世の中になってしまったんだ(今は、野田先生がそうなっちゃって、申し訳ありません。まだ頼り切っています←浩)。

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年齢の大きい子がいるときの家族会議

Q
年齢の大きい子ども20歳、18歳、13歳、夫も含めて、家族会議を始めるときのコツ(野田:この年齢になると始めやすい)はありますか?
 今はあえて日時を決めての定期的な話し合いをしていませんが、親側と子ども側が共同で何かしなければならないとき、必要に応じて話し合うようにしています。話し合う時間はだんだん少なくなっています。上の子は家を出て下宿、中の子も今春下宿ですので、実際に家族が顔を合わす機会が少なくなっています。

A
 同居してない家族は家族会議を考えなくていい。
 家族会議は大問題を議論する場所ではない。定期的な家族会議は、小さな日常のこまごまとしたことについて考える場所だと思う。日本人は家族会議というと、「うちの息子は最近どうも、大学へ行っていると思っていたら実は行ってなくて、女の子と同棲しているようだ。ここは親戚一同集めてひとつ説教だ」などというのを家族会議だと思っている。そんなんじゃない。大きなな出来事は臨時の家族会議をやりますが、ここでお話したのは、もっとこまごまとした出来事を決めるための小さな会議です。
 それは「議題なし」でもかまわない。「今回は何も議題ないよ」でもかまわないから、開いてほしい。開くとそこで情報交換ができる。情報交換は家族会議で大変大きな出来事ですから、開いてほしい。何か決めようと思わないで。決める会議もあるけど、決めない会議もある。
 上の子が20歳、18歳になると家族会議はやりやすい。もっと小さい子もやりやすい。中学生がずらっと並んだりすると一番やりにくい。「家族会議?そんなのいりません」と言われます。(野田俊作)

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運動会の日の雨    野田俊作

運動会の日の雨
2001年09月30日(日)

 大分県別府市に来ている。講演に来たのだが、朝からひどい雨だ。主催者に「雨で残念ですね」と言うと、「いいえ、雨で喜んでいます。雨乞いしていたんですよ」と言う。ああ、そうか、運動会だな。
 私の講演の聴衆は、お母さん方と学校の先生が多い。だから、運動会があると来られない。雨が降って運動会が中止になると、来る人が増えるのだ。30人ほどの事前申し込みしかなかったのだが、蓋を開けてみると70人近く来てくださった。子どもたちにはちょっと申し訳なかったけれど、たくさんの方に聞いていただけて、喜んでいる。
 考えてみると、秋の運動会シーズンには、お呼びがあまりかからない。農村部だと、田植えと稲刈りのころも駄目だ。このごろは兼業農家がほとんどなので、休日に農作業をするようだ。沖縄県は夏場は台風の恐れがあってお呼びがないし、雪国は積雪期にはお呼びがない。なんとなく年間リズムがあるのだ。
 ところで、別府市コミュニティ・センターというところで話をしたのだが、すばらしい施設だ。むかしの芝居小屋をかたどった建物で、外側だけではなく、内部も芝居小屋そのままだ。桟敷席があって花道があって、歌舞伎の浮世絵の中にいるようだ。もちろん、近代的な設備が整っているが、表からは見えないようにしてある。こういうところで、劇や音楽を鑑賞してみたいなと思う。
 箱物行政が作った文化会館などは、味も素っ気もない無機的な建物が多い。せっかく高いお金を使って作るのだから、もうちょっとまともなものを作ってもらいたいものだ。文化会館だけじゃなくて、役所関係の建物がすべて品(ひん)がない。民間の建物のモデルになるような、日本の自然に溶け込んだナチュラルな建物を、まず行政が建てないといけないと思う。20世紀には、自然と伝統をあまりにも破壊しすぎた。21世紀は、いいものをいい形で保存する時代にしないとね。



仲秋の名月
2001年10月01日(月)

 今日は旧暦八月十五夜だ。大阪は昼間は曇っていたが、夕方から晴れてきて、パートナーさんとウォーキングに出かけた午後十時前はすっかり晴れ渡っていた。満月は青く南天にかかっていた。北天にはわずかに雲があるが、南天は虚空だけしかなく、月は小さく明るかった。

 歩いているうちに、万葉集の中にある

夕闇は道たづたづし月待ちて行かせわが背子そのまにも見む

 という歌を思い出した。女の家へ男が通ってきて、夕方になって去ろうとする。夜にやってくるんじゃないんだ。朝から来て夕方帰るのか、それとも前の日から来ていたのか。たぶん、前の晩に来て、「居続け」なんだろうな。ともあれ、女は、「夕闇は道がたどたどしいでしょうから、月が出るのを待ってお帰りなさい、いとしいお方。その間も私はあなたのことを見ていましょう」と歌う。なかなか濃厚な語調の歌だ。
 色っぽい文学だけじゃなくて、道元の『正法眼蔵』の中の「諸法実相」の巻の、中国に留学していた時代の、師匠の如浄のある夜の説法のことを回顧している場面を思い出していた。その締めくくりに、

 それよりこのかた、日本寛元元年癸卯(きぼう)にいたるに、終始一十八年、すみやかに風光のなかにすぎぬ。天童よりこのやまにいたるに、いくそばくの山水とおぼえざれども、美言奇句の実相なる、身心骨髄に銘じきたれり。かのときの普説入道は、衆家おほくわすれがたしと思へり。この夜は、微月わずかに楼閣よりもりきたり、杜鵑(ほととぎす)しきりになくといへども、静閑の夜なりき。

 と書いてある。季節は、前のほうに「春三月」と書いてあるので、新暦だと五月ごろだし、月も満月ではないようだ。だから、今の月とは違っている。しかし、美しい文章なので、月を見ると出てきてしまう。
 構成主義(constructivism)風に言うと、そういう文章が私の見え方を決めているので、言語が先にあって現象が後からある。きっとそうだと思う。月が見えて詩が出てきているのではなくて、詩がまずあって、それが月の見え方を決めている。実感としてそう思う。
 先日、白川静・渡部昇一『知の愉しみ知の力』(致知出版社)という対談を読んだ。その中で、漢文教育の必要性が説かれている。

 白川 中国の詩文というようなものは、若い文学者の作品と違って一種の老熟性があります。(中略)これはいわゆる成人の学、大人の文学と言っていいでしょうな。その意味では、漢文は適齢になったならばなるべく早い機会に接したほうがいい。そうすれば自分が大人の世界に入っていけるわけです。それがないと、いつまでも脱皮できずに甘えが残ってしまう。(中略)大人になるには漢文の教育が一番です。(pp.140-141)

 ここで白川先生がおっしゃるのも、実はそういうことで、漢籍を読んでいるのと読んでいないのとで、世界の見え方が違うのだ。さいわい、私の父は漢籍を読む人で、家に明治書院の「新釈漢文大系」だの岩波書店の「中国詩人選集」だのがあって、中学校上級生のころからそういうのを読んでいた。最終的に、私は中国思想よりも仏教を選んだが、それはそれとして、「大人の文学」を若いころに読んだことは、漢文的言語の獲得を通して、世界の見え方を変えていると思う。

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