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破門と寛容(2)    野田俊作

破門と寛容(2)
2001年09月03日(月)

 先日、玄奘三蔵の伝記(慧立・彦宗著,長澤和俊訳『玄奘三蔵―西域・インド紀行』(講談社学術文庫))を読んだ。玄奘は、旅の途中で、さまざまの部派の僧院に泊まっているようだ。単身で(おそらく無一文で)出発したのだから、僧院に泊まって、在家信者の布施を受けることがなければ、到底インドまで旅をすることはできなかっただろう。だから、そのことは驚くべきことではないように思えるが、よく考えるとそうでもない。昨日の話題だった佐々木氏の議論と関係づけて、ふたつの点を指摘しておきたい。
 ひとつは、中国僧であった彼は、中国で一般的だった法蔵部の『四分律』に従っていたはずだが、法蔵部は小さな部派で、僧院の数はそう多くなかったと思われる。実際、彼は、説一切有部や大衆部の僧院にも泊まっているように読み取れる。つまり、部派が違っても、布薩を共にできたのだ。ということは、布薩で読み上げられて違反がないかどうか確認される戒の条文は、各派で共通だったということだ。佐々木氏もそう書かれている。部派の間には、法(経典)についての思想の対立だけでなく、律についての解釈の相違もあったのだが、それを戒の条文に反映させないように、各部派とも細心の注意を払っていたようだ。私は『四分律』とチベット語訳の『説一切有部律』とパーリ語の『南方上座部律』しか見たことがないが、たしかに戒の条文についてはきわめて似ている。
 もうひとつは、大乗仏教徒であっても、布薩を共にできさえすれば、上座仏教の僧院に泊まれたということだ。そういう僧院に泊まると、玄奘は喧嘩を売ったようで、なかなか凶暴な坊主だったことがわかる。そうして喧嘩を売っても、布薩を共にできるかぎり、追放されることはなかったようだ。
 こういう状態を復活できないものだろうか。日本の教団もいいかげん悔い改めて、律を守って暮らす気にはならないかな。ならないだろうな。



グレツキ
2001年09月04日(火)

 インターネットラジオで、グレツキという作曲家の『交響曲3番』の第2楽章を聞いて、とてもよかったので、CDを買った。ヘンリク・ミコヤイ・グレツキについてはまったく知らなかったのだが、1933年、ポーランドで生まれたので、いちおう現代作曲家だ。『交響曲3番』は、彼の代表作なのだそうだ。小さなオーケストラにソプラノのソロがついている。3楽章あるが、すべてlento(ゆっくりと)だ!

 歌詞は、第1楽章は中世の聖歌で、キリストの死を嘆くマリアの歌。

最愛の息子よ、選ばれた者よ
あなたの傷を母に分けておくれ。
息子よ、いつもお前を心に抱いて、
まごころをささげてきたこの母に、
語りかけておくれ、安心させておくれ。
今、お前は私のもとから行ってしまう、
私の人生の希望よ。
 (英訳から翻訳。以下同様)

 第2楽章は、なんと第2次大戦中、ゲシュタポの監獄の中の独房の壁に書かれていた、18歳のポーランド女性の詩。

泣かないで、お母さん、泣かないで。
もっとも清い天の女王さま、
私をいつまでも支えてください。
アヴェ・マリア

 そして、第3楽章は民謡で、戦争で息子を失った母の歌。

どこへ行ったの、
私のいとしい息子。
戦乱の中で、
ひどい敵に殺されてしまったのか。
 (中略)
もう二度と、
私の手はあの子に届かない。
この老いた目が
つぶれるほど泣いたとしても。
 (後略)

 詩も悲しいが、音楽も悲しい。こんな悲しい歌が書けるんだねえ。オーケストラは単調に2つの和音を繰り返す。ずっと低音が鳴り続ける。その上で、ソプラノが、単純だが、きわめて美しい旋律を歌う。すべてがあまりに単調なので、一度聴くと、呪いのように耳について離れない。
 無調で不協和音で、作曲家本人だけが喜んでいるような音楽は、1980年ごろから書かれなくなって、こういう、真にシリアスな音楽が書かれるようになったんだそうだ。私はちょっと時代遅れになっていたな。そういう作曲家たちの曲を聴いてみよう。



グレツキ(2)
2001年09月05日(水)

 昨日書いたグレツキの『交響曲2番』は、西ドイツの交響楽団に委嘱されて書かれた。それでもって、第2楽章の歌詞が、ゲシュタポの独房の壁に書いてあったポーランド女性の詩なんだ。これって、ちょっとすごいね。日本のオーケストラが中国人の作曲家に委嘱作品を頼んだら、歌詞が特高警察に拷問されて死んだ娘が書いた詩だった、というようなものだ。
 ヨーロッパの国々のお互い同士の近さは、日本のような島国にいると、ちょっと想像がつかない。距離的にも近いが、国境を陸路で越えることができるので、隣国の人が簡単に移住してくる。どの国も、昔から人種混交国家だ。同じ国の中で、違った人種同士が昔から憎しみあっている。昔から憎しみの言葉をかけあっているので、交響曲の歌詞ぐらいでは、そんなにこたえないのかもしれない。
 グレツキは、別にドイツ人にイヤミをいうつもりであんな歌詞を選んだわけではないだろう。女の悲しみを通じて、戦争や拷問や虐殺のない、みんなが融和して暮らせる世界への希望を歌ったのだと思う。それはドイツ人もわかっているだろう。けれど、わかっていても、つらいんじゃないかな。
 ドイツのある心理学雑誌に、ドイツ人の著者がユダヤ人の老人に向かって、「もういいかげん、昔のことは忘れたらどうですか?」と言ったところ、老人は、「忘れてしまうと、許すことができなくなる」と答えた、と書いてあった。日本人のように、「水に流して」忘れてしまう国民とは違うんだ。いつまでも覚えていて、思い出すたびに、悲しい目をして相手を見つめて、それからため息をついて許すんだ。

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夫が家出

Q
 結婚して10年になります。この前主人が何か不満があったらしく、3日間家出をしました。こういう場合ほっといたらよいのでしょうか?

A
 聞いてあげたほうがいいんじゃない?「何か私に気に入らないことあるんですか」と、恐いけど。どうしても恐くて聞けないときは、僕たちのお勧めしている夫婦カウンセリングに来られたら、背中合わせに座るんです。顔を見ると恐いから。それでどっちからでもいいから、15分間何でもしゃべれるんです。15分たったら、あと15分、今聞いてたほうの人が何でもしゃべれるんです。それでその日は終わり。30分時間をとって、1人が15分しゃべり、もう1人が15分しゃべる。あとからしゃべる人は、先に15分しゃべったことに反論してもいいし、全然関係ないことを言ってもいいです。それで気がすめばそれで終わり。気がすまなければ次の日にまた同じことをする。昨日先にしゃべった人があと、昨日あとでしゃべった人が先にしゃべるんです。だいたい10日くらいすると、仲直りしますわ。言いたいことが出尽くして。お互い凄い理解が深まります。「ああ、こんなことを考えてたんだ」って。夫婦って、知りませんでねえ、お互いのことを。背中合わせで15分ずつ、とにかく何言ってもいいんです。怒ってもいいし、ひょっとしたら黙っててもいいんですよ。15分ずつ好きなことを言う時間を作られたらどうでしょうか?ちょっとの間。(野田俊作)

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素質と教育    野田俊作

素質と教育
2001年08月28日(火)

 アドラー心理学のカウンセラー資格試験の合格率が低いことについて書いていたのだが、ある場合には、受講者に「人の話を聴く」素質がないことを問題にし、ある場合には、私の教え方に問題があるのではないかということを考えた。しかし、「低合格率の原因は、受講者の資質なのか、教師の教え方なのか」という問いの立て方は、一種の「うじ・そだち論争(nature-nurture controversy)」で、論争の構造上、永久に決着はつかないだろう。要するに、どちらにもいくらかずつの責任があるのだ。
 私の友人に、はじめ外科医を志して、やってみた結果、適性がないことが自分でわかって、他科に転進した人が何人かいる。考えてみると、私も、学部学生の時代に、神経生理学の研究者になろうと、ちょっと思った。神経生理学の研究室にお邪魔して、先輩の実験を見せていただいたりして、ちょっとだけ実験もさせていただいて、1年もすると、基礎研究者にまったく向いていないことがわかった。適性がないということは、実際にやってみないとわからないものであるようだ。
 外科から他科に転進した人の中には、本人が納得して転進した人もいるが、外科の教授に「お前は向いていないから、やめろ」と言われて、半ば不本意に転進した人もいる。やってみても、適性がないことが自分でわからない人が、たしかにいるようだ。そういう人たちは、不本意に転進して、後は不幸な一生だったかというと、そうでもなくて、他科でけっこう満足して暮らしていることが多いように見受ける。
 音楽家やスポーツ選手などは、小さいころから淘汰がかかる。だから、子どものころ、ピアニストやプロ野球選手になりたくても、実際に音楽大学に入ったり、高校野球で甲子園に出たりできる子どもはほんの一握りで、他は早い時期に断念して他の進路を考える。逆に、音楽大学に入れた子どもや甲子園に出られた子どもは、素質なり適性なりのある子どもばかりだから、その後、伸びるか伸びないかは、いい教師に出会うかどうかに、相当かかっていると言ってもいいのではないか。
 カウンセラーという職業は、今のところ淘汰圧が低いので、ほとんど誰でも、養成講座を受けることができる。だから、適性がない人でも、実際に養成講座を受けるまでわからない。だから、厳格な試験をすると不合格者が多くなり、教師は「うじ・そだち論争」で悩まされることになるのだ。
 別に、教師としての責任を逃れようとして、こんなことを書いているわけではない。私が言いたいのは、以下のようなことだ。
 外科医とかピアニストとか野球選手とかカウンセラーとかのような専門的な職業には、すべての人が向いているわけではない。そのうちのあるものには、早い時期に淘汰圧がかかり、あるものにはかからない。淘汰圧がかからない職業については、現場に出てからはじめて適性がないことがわかる場合もある。だから、試験の合格率が5割以下というのも不思議ではないかもしれない。しかし、適性がないと思われる人々にも、教育法を工夫すれば、能力が伸びる可能性はある。



モーツァルト
2001年08月29日(水)

 1か月ほど前にフレッツIDSNにした。家にいるときはパソコンをインターネットにつなぎっぱなしにして、ラジオを聞いている。外国の放送局につないで、クラシック音楽を鳴らしているのだが、有線放送と契約したみたいなもので、なかなかいいものだ。スピーカをもっといいのと買い換えようかしら。パソコンを買ったときにおまけについていたものだから、たいした音じゃない。
 モーツァルトが嫌いで、自分から好んで聴くことはまずないのだが、こうして向こうから供給してくることになると、かなり高い確率で、あの独特の音に出会う。まじめに聴かなければ別に被害はない。その点で、ブラームスとは違う(ブラームスも嫌いなのだ)。彼の音楽は、転調やら主題の入れ替えやらが非論理的で、本気で順を追って聴くと、ちょっと耐えられない。しかし、BGMに鳴らしておく分には害がない。思想がないからね。
 好き嫌いは別にして、モーツアルトの管弦楽は、いつも嬉しげに歌っていることに感心する。バロック音楽時代のドタドタした通奏低音から逃れて、自由になって、言いたいことが言えるようになった喜びで跳ねまわっているんだな。音楽がいちばん書きやすかった時代じゃないかな。モーツァルトはまじめに聴きこんだことはないが、ハイドンは一時しっかり聴いたり演奏したりしたが、ほんとうにシンプルに書けている。それ以前の時代にもそれ以後の時代にも、あの時代のような透明な音楽語法はなかった。
 他の芸術や思想や科学と関係づけて音楽を聴くことがないので、ハイドンやモーツァルトの時代に、他の領域でどういう芸術家や思想家や科学者がいたのか知らない。でも、きっと時代精神なんだ。こんど、暇なときに、ちょっと調べてみよう。

カント 1724-1804
ハイドン 1732-1809
ゲーテ 1749-1832
モーツァルト 1756-1791



山に会う
2001年08月31日(金)

 山の中にいると、「いま、ここ」で見ている風景はきわめて一回限りのもので、この次に同じところへ来たときには同じものは決して見ることができないと思う。同じ山や同じ川へ何度も行くが、毎回、まったく違ったものが見える。光も違うし、流れも違うし、木々も違う。晴れている日は晴れている日の美しさ、雨の日は雨の日の美しさがある。夏は夏の美しさ、冬は冬の美しさがある。
 風景が移り変わるのと同じことで、実は私も移り変わっている。山へ来るのは、町の暮らしから切り離されて来るわけではなくて、その直前までの日常生活をぶら下げたままでやってくる。この前来た時の直前の日常と、今回来る直前の日常が違うから、山へ来た私は違うものを引きずっている。それがやがて、山を縁として、日常から離れていくのだけれど、山が違うものだから、離れていく場所も違っている。だから、山が違うように、私も毎回違うところに着く。
 山は大きな縁起の流れの中にあって、私も縁起の流れの中にあって、あるとき私と山が因縁和合して出会う。私の側に因(因縁)があって山の側に縁(所縁縁)があるが、その両者が出会うためには、その出会いを支える、世界全体の流れである大きな縁(増上縁)というものがあって、それでもってようやく山は、私の前にあらわれる。そういうものの捉え方に、このごろなじんできて、生きていることをとてもありがたいと思う。
 森を見ていて、実はこの木々は自性空で、実体があるように見えているが、実際にはたえず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだとも思い、それを見ている私も自性空で、実体があるように見えているが、実際には絶えず縁起によって移り変わる無常の現象の一瞬の断面にしかすぎないのだと思うと、今という時間があってここという場所にいられることが、かぎりなく嬉しくなるのだ。
 抹香臭い話でごめんね。もう秋なんだな、こういうことを考えてしまう季節になったんだ。



山に会う(2)
2001年09月01日(土)

 山や川は、たえず移り変わる現象であるにすぎず、実体はなく、たとえてみれば夢のようなものだ。私もまた、実体として存在するわけではなく、やがて滅んでゆく現象であるにすぎない。われも夢、世界も夢、諸行は無常にして空だと、仏教は言う。松明(たいまつ)を回すと光の輪が見えるが、世界はその輪のようなもので、実際には存在せず、ただ見えているだけだとたとえる。
 中世の日本人は、このようなとらえ方に慣れ親しんでいて、一方では無常の自然に「もののあはれ」を感じて耽美的に生きようとしたし、一方では刹那主義に陥って享楽的に生きようとしたようだ。
 チベット人が書いたものを読んで、中世日本人の理解は、たぶん間違っていると思うようになった。インドの仏教者たちが言いたかったのは、自分にも世界にも実体がないからこそ、縁起が可能になる。縁起が可能になるから、迷っているわれわれも、善業という因の積み重ねによって、やがて悟りという果にいたることができる、ということだったようだ。つまり、諸行無常だの空だのというのは、日本人が考えたような情的な感慨ではなくて、きわめて知的な論理的要請だったのだ。

 この一切が空でないとすると、生起は存在しないし、滅も存在しない。そうであるとすると、四諦は存在しないという誤りを汝は犯すであろう。(『中論』第24章)

 「自分や世界に実体があるとすると、変化がおこらないのだから、悟りが生じることもないし、迷いが滅することもない。そうであれば、因から果に至る縁起もなくて、善業を因として迷いを脱し、悟りという果に至る道もないことになる」という意味だ。

 とはいうものの、私も日本人なので、情的な感慨もある。情的な感慨と知的な論理が二重写しになって、二倍楽しめるわけだ。美しい森の中にいて、澄んだせせらぎを見て、この時があることに情的に感謝もし、やがて私にも救いの日が来るのだろうと、無常のもうひとつの意味を知的に思いもし、すっかりリフレッシュして町に帰る。



破門と寛容
2001年09月02日(日)

 朝、熊本に来て、夕方まで仕事をして、終わってから繁華街を歩いていた。大きな本屋があった。ついフラフラと入ってしまう。一冊の本がなんとなく輝いていたので、高かったけれど買ってしまった。佐々木閑『インド仏教変移論―なぜ仏教は多様化したのか』(大蔵出版)。この本に書かれていることは、一般の人々には、ほとんど興味のない話題だと思う。でも、私は、ものすごく面白かった。
 話は、アショーカ王の碑文から始まる。その中に、仏教教団の分裂と和合についての記載があって、それを振り出しにして、推理小説風にさまざまのことがわかっていく。まず、「破僧」、つまり教団を破壊する行為、という言葉の定義が、どうもアショーカ王(紀元前304-紀元前232)の時代に変わったらしいことがわかる。それまでは、理論的な対立をもとに分派ができて、「われわれのは正しい仏教だが、お前たちのは非仏教だ。だから、同じ寺には住めない。出ていけ」と言っていたらしい。追い出されたのが一人ならいいが、集団で追い出されると、その人たちが新しい学派を作る。こうして、さまざまの学派が、すでにアショーカ王の時代にできていたらしい[1]。アショーカ王は教団分裂を防止しようと思い、教団に政治的な圧力をかけて[2]、布薩[3]を共にできさえすれば、たとえ理論的に対立していても、相手を非仏教だと決めつけて破門してはいけないことにした。
 アショーカ王のブレーンは、どうも大衆部(だいしゅぶ)らしい。彼らは、「布薩を共にできないときは破門」という説をきわめて積極的に受け入れていて、それまでの「理論を共にできないときは破門」という考えを完全に捨てた。そのために、律を大幅に改変して、古い文章を徹底的に削除して、新しい考え方だけで統一した。南方上座部は、圧力に屈して不承不承アショーカ王の提案を受け入れて、律を一部改変した。しかし、大衆部のように積極的ではなかったので、古い文章もそのまま残して、そこに新しい文章を付け加えた。説一切有部(せついっさいうぶ)は、アショーカ王の圧力に反抗して、カシミールへ逃げた。したがって、律は改変されていない。
 この「改革」の結果、布薩を共にできさえすれば、つまり、律の条文が同じでさえあれば、理論的にどんなに違っていても、同じ寺に住めることになった。そこで、やがて大乗仏教のような、原始仏教とはかけ離れた考え方も生まれてくることになったのだ[4]。
 ここまでが、この本の内容だ。「布薩を共にできれば仏教」という考え方は、今でも生きている。逆に、布薩を共にできないと仏教ではない。南方上座部の僧は、日本の僧は比丘ではないという。なぜなら、彼らがタイやスリランカに旅行すると、ホテルに泊まるからだ。律には、在家の家に泊まることは禁止されている。僧は、僧院に泊まるか野宿するかしなければならない。上座部の僧も、野宿はかなわないので、ふつうは地域の僧院に泊まる。僧院に泊まると、現代でも、布薩に参加しなければならない。日本の僧は戒を守っていないので、布薩に参加すると、ただちに教団追放になる。ホテルに泊まっても僧院に泊まっても、どちらにしても駄目なのだ。
 私は、仏教が生き残るためには、律を復興するしかないと思っている。そうして、全世界の教団が布薩を共にできる状況を作りさえすれば、どんなに理論上の違いがあっても、ひとつの教団としてやっていけるわけだ。われわれ在家だって、戒律をちゃんと守っている僧なら尊敬できるしね。
 これは通説とは違っている。通説では、アショーカ王の時代までは教団は一味和合であったが、その時代に大衆部と上座部に分かれたことになっている。佐々木氏は、その説は説一切有部が作り出したものであって事実ではないことを、それとなく示唆される。南方上座部の伝承では、王は命令に従わない長老を処刑することさえしたようだ。ウポーサタ。月に2回おこなわれる儀式。地域の全比丘が集まって、律の条文を朗読して、違反がないかどうか確認する。これも通説と違っている。大乗仏教は、最初は在家の運動であったのが、後にその人たちが出家するようになったのだというのが現在の多数説なのだが、佐々木氏は、はじめから出家教団の中で大乗仏教がおこったと言われる。

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片づけ

Q
 普段から手紙を書こうとか身の回りを片づけようとかほんとによく思っていますが、なかなか実行しません。実行できるアドバイスがあればお願いします。

A
 私は「お片づけ」に関しては2つの原則を守っていますので、これはうまくいっています。1つは、うちのおうちは私が住んでいるのではなくて、神様・仏様が住んでいらっしゃるお社(やしろ)なのでございます。あなた方は知らんでしょうが。『法華経如来神力品(ほけきょうにょらいしんりきぼん)』にそう書いてある。「君の住んでいるおうちは昔お釈迦様がお生まれになり、修行をなさりお悟りを開かれた、その場所なのである。だから、ゆめゆめおろそかにしてはならずお掃除はちゃんとし、きれいにしておかないといかん。そうしないとお釈迦様が出て行かれて、あんたのおうちはどんどんみすぼらしくなり、あんたの暮らしも惨めになるであろう」と書いてある。こりゃいかん。やっぱりきれいにしておくと、良い神様が住みつかれて心もすがすがしくなり体も元気になりますので、神様のお守りで。神様っていうのは汚いところがお嫌いなんです。汚くすると、今いる神様が出て行って、代わりに貧乏神が住みつくんですよ。これが住むとなかなか厄介なので、そういうのが住まないようにいつもお掃除をしようと、まあ基本的に思います。これが第一。「家に神様が住む」と言うと、みんな「ふーん?」と言うんだけど、でもねえ、それは僕、ある程度実感として思う。1つはねえ、この近所にあるおうちがあって、おじいちゃんとおばあちゃんと2人で暮らしていらっしゃったんですけど、両方とも亡くなっちゃったんですよ。亡くなっちゃったあと、その子どもさんたちが来ないのかいないのか、家をそのままにしばらく置いてあったらね、ひとつきもしないうちに、家が荒れてくるんです。昔の造りの家で瓦の家なんですけど、なんか傾いてくるんですよ。ということは、そのおじいちゃん・おばあちゃんがいらっしゃったときに、家の神様がいて、おじいちゃん・おばあちゃんが住めるように家を保っていたのが、いないからどっか行っちゃって、それで家の力がなくなっていっているんだと思いますが、皆さんはそんな経験ないですか? 人の住まなくなった家ってアッという間に荒れるんだって。なんもないのに。それから僕の父親が死んだときのことなんだけど、ずっと開業医をしていて、年取ってきたら、「医療機械が心電図とかそんなんも買い換えてもねえ、先どんだけあるかわからんし、騙し騙し使おうよっ」て、古い心電図とか血圧計とか使ってた。親父が死んでしばらくすると、その機械たちがみな故障するんです。動かないんです。親父が死んだあと、親父の患者さんの紹介状を毎日毎日書いて暮らしたんだけど、その間に父親の使ってた医療機械がどんどん壊れていくんです。これは親父が生きてた間、皆頑張って生きてたんだと思いました。そんなもんじゃないですか。皆さん方だって、皆さん方が亡くなられたら、皆さん方が大事にされている掃除機とか洗濯機とかが壊れるかもよ。だから、そう即物的に神も仏もいないと思って暮らさないほうが、生活に潤いがあって生きている世界に生きられますがね。だからきれいにしてあげておこうと思います。
 もう1つは「超整理法」という血も涙もない方法です。この間、CDを40枚くらい人にあげました。なんであげたかというと、泣く泣くあげたんですけど、新しいCDが買いたいからなんです。わが家のルールは本棚に入ることができる以上の本を買うことができない。もし買いますと、古い本を捨てなきゃいけない。だからどの本棚もどの引き出しも絶対はみ出ないんです。古いのを捨てないと新しいのを入れられないから。いつも満タンなんですけど、これ僕の絶対的秘訣。だから超整理法で、一冊買ったら、「さあどれにしようかな」って、どの子かを捨てないと新しい子を買えない。これいいでしょう。あなたたちの洋服ダンスはきれいになりますよ。絶対着ない服をどっかへ捨てれば。そうやってお掃除してください。手紙はねえ、一応年賀状は、長いこと年賀状はやめようと思いまして、あんなん「明けましておめでとうございます」って書いてもしょうがないじゃないですか。と思ったら、団四郎さんという心理療法家で漫画家の人が、びっしり書き込んだ年賀状をくれたんです。その年1年の出来事を。これいいと思って、うちもびっしり小さい老眼の人は絶対見えない字で前の年1年の出来事を報告する年賀状を復活いたしました。私から年賀状ほしいという人は、言ってくれたらあげます。もうすぐ年賀状書きますからね。何も芸はない。ただ1年の出来事をびっしり書いてあるだけなんですけど、これを出してから、結構長いこと会わなかった人が返事をくれるようになったんです。それで手紙のやりとりとかメールのやりとりとかできるようになったから、まあああいうものをうまく利用することだと思います。(野田俊作)

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年08月02日 07:04)

人の話を聴く   野田俊作

人の話を聴く
2001年08月24日(金)

 先週の木曜から土曜と、今週の木曜から土曜は、東京にいて、カウンセラーの養成講座の講師をしている。8日間、48時間の集中講座だ。講座といっても、理論的な話はそれまでにほとんど終わっているので、全時間数の3分の2以上は模擬カウンセリングによる実習だ。参加者の一人がカウンセラー、もう一人がクライエントになって、20分間の模擬カウンセリングをする。クライエント役をビデオ撮影して、後でそれを見ながら解説する。クライエント役の人は、ほんとうに困っている問題を相談しなければならないことにしてある。そうでないと、リアルなカウンセリングにならない。
 2週目に入ると、実技試験をする。演習のはじめに「試験を受けます」と宣言して、そのカウンセリングが成功すれば合格だ。不合格なら、その次に順番が回ってきたときに再受験できる。受験料2千円を支払ってもらって、それは試験官の懐に入るので、落第が多いと儲かってしまう。しかし、公開の場所で試験をしているので、誰が見ても合否はわかる。カウンセリングが成功しているか失敗しているかは、2週目にもなれば、どの参加者の目にもあきらかだ。だから、小遣い稼ぎのためにどんどん落第させるというわけにはいかない。残念。
 それでも、最終的に半数くらいは落第する。落第する要因は、要するに、相手の話が聴けていないことだ。人の話を聴くというのが、難しい技術であるのかどうか、私にはわからない。話を聴ける人は講座のはじめから聴けていて、聴けない人は最後まで聴けない。講座の途中でこの技術が改善する人はほとんどいない。だから、そもそも習得できる「技術」であるのかどうかさえ怪しい。
 受講前から知っている人が多いので、事前に誰が合格して誰が落第するかを、きわめて高い確度で予測できる。つまり、ふだん話が聴けている人は合格するし、聴けていない人は合格しない。「この人は合格しないな」と思っても受講を許可するのは、落第することから学んでもらえることもあるだろうと思ってだ。たいていの受講者は、「私はカウンセラーに向いている」と思っている。しかし、向いていない人もいて、そういう人に、「あなたは向いていない」と口で言ってもめったに納得してくれないので、体験から学んでもらおうと思うのだ。ちょっとムゴい教育方針かもしれないけれど。
 大学の教師じゃなくてよかったと思う。大学だと、カウンセラーに向いていない学生も、最終的に合格させて社会に出さないといけない。こんなに簡単に落第させられない。カウンセラーに向いていないのに卒業させてしまうと、その人たちも苦労するだろうし、その人たちにカウンセリングを受ける人たちも苦労することになるだろう。早い目に、「あなたは他の仕事を探したほうがいいですよ」と教えてあげるのが親切というものだと思う。



人の話を聴く(2)
2001年08月25日(土)

 カウンセラー養成の話の続きだ。
 人の話が聴けていない受講生がいても、「共感性が低い」だの「人の気持ちがわかっていない」だのといった抽象的な批評はしないことにしている。ビデオを見ながら、「今、クライエントはこう言ったが、カウンセラーは次はどう言うべきか」というように、まったく具体的な技術として教えている。そうでないと、学ぶことができないと思う。しかし、それでも学ぶことができない人がいる。それ以外の教え方を思いつかないので、困ってしまう。
 いつの講座でも、講座のはじめから上手にカウンセリングができる人が、10人あたり1人か2人いる。アドラー心理学では、さまざまの治療者が公開カウンセリングをしているので、この人たちは見学しただけで技術を学んだのだろう。講座の中で技術を教えると、やがてカウンセリングができるようになる人が3人から5人くらいいる。しかし、そういう人は、はじめから人の話は聴けていたのだ。残りの5人ほどは、はじめから人の話が聴けていないし、最後まで聴けない。話が聴けていないから、技術も使えない。
 つまり、講座を受けて、はじめて人の話が聴けるようになった人は、おそらく今まで1人もいない。もっとも、今後永久に人の話が聴けないかというとそうでもなくて、1年か2年して再受験すると(一度講座に出ると、いつでも再受験できることにしている)、合格する人もいることはいる。その人たちの多くは、医師や臨床心理士などの、相談のプロだ。きっと、血のにじむような努力をされたのだと思う。頭が下がる。それはそれとして、この人たちは、私が教えたので人の話が聴けるようになったわけではない。これが悔しい。
 人の話を聴くことを教育する具体的な方法は研究されているんだろうか。抽象的なお題目として、「相手の気持ちになれ」だの「人の関心に関心を持て」だのということはどこにでも書いてある。しかし、そういうことができるようになるためのトレーニング法を具体的に書いたマニュアルは見たことがない。不勉強で知らないだけかもしれないが。



人の話を聴く(3)
2001年08月26日(日)

 カウンセラー養成講座は終わった。今回はじめて受講した人12人と、前回までに受講して不合格だったので試験を受けにきた人3人、計15人のうち、最終的に試験に合格したのは7人だった。いつもだいたいこんなものだ。
 不合格だった人もウツ気味なんじゃないかと思うが、落とした私もちょっとウツ気味だ。チャンスは何度もあげたし、問題点や改善案を丁寧に解説したつもりだ。しかし、やはり、話が聴けない人は、最後まで聴けないままだった。
 具合の悪いことは、その人たちは、自分が人の話を聴けていないのだということを、講座を通じて、頭ではわかったかもしれないが、実感していないことだ。それはもっともなことで、なにしろ、その人はずっとそういう感じ方・ふるまい方で生きてきたわけで、他の人の目や耳や心でものを見たことがない。だから、自分が感じる以外の感じ方がありうることを実感できない。
 それで、その人たちの多くは、最後まで希望を捨てない。何度も受験しようとするので、最後には「あなたは今回は受からないから、受験はしないで、練習だけして帰ったほうがいい」と言うことになる。受験料2千円をだまし取っているみたいで、いやなんだ。不合格だということは、試験を受ける前からはっきりしている。そういうものなんだ。ところが、私が断ると、その人たちはショックを受けるみたいで、悲しんでみたり怒ってみたりする。困ったな、親切で言ってるんだよ。まぐれで受かることなんかないんだ。
 カウンセラーの適性がないことは、恥じることではない。私は手先が不器用なので、外科医になる適性がなかった。誰でもが外科医になれるわけではないし、誰でもがカウンセラーになれるわけではない。そういうものなのだ。
 カウンセラーとして人の話が聴けなくても、ふつうの生活では困らないと思う。なにしろ、人口の半分以上が、ここで言う「人の話が聴けない人」なのだから。逆に、カウンセラーの適性があるから、日常生活で人とうまくつきあえるというものでもない。私なんか、人間関係がとても下手だと思う。病院に勤めていたころは、看護師詰所との関係も医局との関係も、あまりよくなかった。不適応すれすれだったと思う。ここで「人の話が聴ける」というのは、だから、純粋にカウンセリングの技術の話だ。



人の話を聴く(4)
2001年08月27日(月)

 やっと大阪に帰ってきた。水曜日に、台風を追いかけて東京へ行き、4泊して、日曜までいた。毎晩、呑んだくれていたので、かなり疲れている。
 それに、どうも後味が悪い。なにしろ、カウンセラー試験で、15人の受験者のうち8人も落としたのでね。恨まれているかもしれないな。これは今回の受験者ではないが、試験に落ちて、怒ってしまって、「もうアドラー心理学はやめた!」と言って、アドラー心理学会も退会し、私ともつきあいを断った人が2人いる。そこまで過激に反応しなかった人も、陰で私の悪口くらいは言っているかもしれない。今回の不合格者の中にも、私に怒っている人や、私を恨んでいる人がいるだろう。でも、仕方がないんだよ。おまけで通すわけにはいかないしね。
 大学の臨床心理学教室も、臨床心理士認定協会も、民間のカウンセラー養成機関も、こんなにどんどん落としたりしないようだ。「アドラー心理学は、サディスティックに厳しいそうだ」という噂もあるとか。そんなことはないんだよ。ただ、客観的に試験をして、水準に達した人を認定し、水準に達しない人を認定しないだけのことだ。そうすると、残念なことに、半数ぐらいの人しか合格しない。こちらとしては百パーセント合格してもらいたいと思い、そのためにできるだけわかりやすく指導しているつもりなのだが、どうしても半分くらいの人が不合格になる。これはどうしようもないのだ。他の流派の指導者は、こんな悩みはないのだろうか。ほんとうに、そんなに高率の人が水準に達するんだろうか。
 カウンセラーの品質管理をしっかりしたいので、力が不十分な人には認定書を出さない。そのかわり、うんとわかりやすい講習をする。「相手の気持ちになれ」だとか「心の中を読め」だとか、わけのわからない精神訓話はしないで、具体的な観察法と思考法と行動法を教える。だから、もともと人の話が聴ける人は、アドラー心理学のカウンセラー講習を受けると、とてもいいカウンセラーになる。問題は、もともと人の話が聴けない人がいて、その人たちに、人の話を聴く方法をどうして教えればいいのかがわからないことだ。やはり無理なのかなあ。

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