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スレッドNo.127

論語でジャーナル

21,宰我(さいが)問う、三年の喪は期にして已(すで)に久し。君子三年礼を為さざれば、礼必ず壊(やぶ)れん。三年楽(がく)を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀(きゅうこく)既に没(つ)きて新穀(しんこく)既に升(みの)る、燧(すい)を鑚(き)り火を改む。期にして可なり。子曰く、夫(か)の稲を食らい、夫の錦を衣(き)る、女(なんじ)に於いて安きか。曰く、安し。女安ければ則ちこれを為せ。夫(そ)れ君子の喪に居るや、旨(うま)きを食らうも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処(きょしょ)安からず、故に為さざるなり。今女安ければ則ちこれを為せ。宰我出ず。子曰く、予の不仁なるや、子(こ)生まれて三年、然る後に父母の懐(ふところ)を免(まぬが)る。夫れ三年の喪は天下の通喪(つうそう)なり。予(よ:宰我の名)やその父母に三年の愛あらんか。

 (弟子の)宰我がおたずねした。「三年の喪は満一年にしても十分です。君子が三年間も礼を実践しないと、礼は崩壊するでしょう。三年間、音楽を演奏しないと、音楽も崩壊するでしょう。一年経過すれば旧年にとれた穀物は食べ尽くされ、新しい年の穀物は既に実っていますし、年のはじまりに、木をこすり合わせて新たな神火を灯すのです。喪は満一年で十分だと考えます」。先生が言われた。「一年たってすぐ普通の生活に戻り、あの米を食べ、あの錦の衣服を着ることは、お前にとって安楽なのであろうか(痛みを感じないか)?」。宰我が答えた。「心地良いです」。先生が言われた。「本当に心地良いのであれば、思いどおりにすればよかろう。君子が喪に服している間は、美味しいご馳走を食べても甘くはなく、音楽を聴いても楽しくはなく、家に居ても落ち着かないものだから、こういったことはしないものなのである。しかし、お前は心地良いと言ういうのなら、やりたいようにやりなさい」。宰我が退席すると、先生は言われた。「宰我は非人情なやつだ。子どもは生まれて三年経ってようやく父母の懐から離れる。だからこそ、あの三年間の服喪は、一般的な喪の服し方なんだ。宰我にしても、父母から三年の愛を受けたはずであるのに(その三年を惜しむのか)」。

※浩→「三年間の服喪期間」を長すぎると実用主義者の宰我は反論します。伝統・道徳を重んじる孔子がそれを批判します。孔子は父母に対する忠孝の徳と服喪の精神が統合されることこそが理想だと考えていますが、実用主義者の宰我はいたずらに三年間もの時を喪に服すのは無駄だと言っています。孔子は君子が三年間の喪に服すべき理由を、「乳幼児が父母から受けた無償の愛」に求めています。老人になった自分も共感すると、貝塚先生。生まれてから三年間は父母から無償の愛情を貰ったはずであるのに、父母がいざ亡くなってしまうと薄情なものだという孔子の皮肉な口調が込められているようです。
 喪中には、うまいものを食べてもうまいと感じないし、音楽を聴いても楽しくなかったです。立ち居振る舞いも不安定でした。そうしたやむにやまれぬ人情の自然としてそうですと、吉川先生。私もすでに二親を亡くしていますから実感できます。特に、母を失ったあとは、少なくとも半年くらいは、お腹の底の力が抜けたようで、声にも勢いがありませんでした。それでも一周忌のころにはほとんど回復していました。人間の生命力には驚きます。現代は「喪中」は一年になっていますから、宰我の考えどおりになっています。合理主義の現代では、失われたものを長く悔やみ惜しむよりも、ある時点で区切りをつけて、前へ進むプラス指向のほうがふさわしいのでしょう。

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