論語でジャーナル
10,子夏曰わく、君子、信ぜられて而して後にその民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲(なや)ますと為すなり。信ぜられて而して後に諌(いさ)む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗(そし)ると為すなり。
子夏が言った。「君子は人民に信頼されるようになってから、はじめて人民を労働に使役する。信頼されないうちに人民を使役すると、人民は自分たちを悩ますと思う。君子は主君の信頼を得てから、はじめて主君に諫言(かんげん)をする。信頼を得ていないのに主君を諌めようとすると、主君は自分を誹謗していると思ってしまう」。
※浩→前半は、政治の責任を取るものの、人民に対する心得で、後半は、その君主に対する心得を説いています。人民に労役(夫役)を割り当てて使役しようとする場合には、君子と人民の間に信頼関係が成り立っていないと、人民は政治に不満を覚えて反発するのでうまくいかない。同様に、君主と家臣の間に信頼関係が成り立っていなければ、有効な諫言(厳しい助言)をすることができなくて、君主はたとえまともな指摘であっても聴く耳を持ってくれないおそれがある。荻生徂徠は、後世の儒家の教えが、厳格主義に傾いて、ここに説くような厳密な注意を怠ることへの反撥であろうと、考えたそうです。ここでも、創生期のクリエイティブな思想がのちに教条化・土着化していくことがわかります。
例の野田先生の論文から引用しておきます。↓
□創造的思想の土着化
批判的な創造的思想も、継承されるうちに批判性を欠くと、容易に土着思想に呑み込まれてしまいます。思想の歴史は、批判的創造的思想が現れては、やがて土着思想に呑み込まれ、それに対する批判としてまた新しい批判的思想が現れる、ということの繰り返しであったと言ってもよいでしょう。
ある時代の日本と中国においては、仏教が批判的思想であり、神道や道教が土着思想でありましたが、仏教はやがて土着思想に呑み込まれてゆきました。例えば、日本中世天台宗の論書である、伝源信『真如観』は、
今日より後は、わが心こそ真如なりと知り、悪業煩悩も障りならず、名聞利養かへりて仏果菩提の資粮となりつれば、ただ破戒無慙(はかいむざん)なり懈怠嬾惰(げだいらんだ)なりとも、常に真如を観じて忘るることなくば、悪業煩悩、往生極楽の障りと思ふことなかれ。
と述べていますが、これは仏教用語で書かれた土着思想です。ここでは、仏教は神道に呑み込まれているのです。
中国では、例えば、唐代の禅僧臨済が、
諸君、ブッダの教えは工夫を用いることがない。ただ、平常無事で、排泄したり、着替えをしたり、飯を食ったり、疲れれば寝たりするだけのことだ。愚か者はこういう私を見て笑う。しかし智者ならばわかる。昔の人も言っている。「外に向かって工夫するなどというのは、大馬鹿者だ」とな。君たちが、どこにいても自己自身でおれば、することなすことみな真だ。外から何がやって来ても、君たちを引き回すことはできない。これまでの無限の生涯に蓄積した悪いカルマがあっても、そのままで自然に解脱の世界に生きることができるのだ。(秋月龍民『臨済録』)
と言っています。これも仏教用語を用いてはいますが、まったく道教的であり、土着思想に呑み込まれた仏教なのです。
ちなみに、このようにして、元来は批判的思想であった仏教が土着思想に呑み込まれてしまった結果、われわれが日常何となく「日本的」なり「東洋的」であると感じているものは、神道であれ仏教であれ、今やすべて土着思想なのです。これらが安易な現状肯定でしかないことを見落としてはなりません。そこには創造的変革的な力は微塵もないのです。
とても難解ですが、いつもフロムの「創造的思想は常に批判的である」を心にとめておきたいです。