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スレッドNo.182

論語でジャーナル

11,子夏曰わく、大徳は閑(のり)を踰(こ)えず。小徳は出入して可なり。

 子夏が言った。「大きな道徳については、細かな規制・法律を逸脱してはいけない。小さな徳は、その範囲を少々越えてもかまわない」。

※浩→「閑」は「牧場周辺の柵」から転じて「法則・規則」のこと。仁や忠孝のような主要な徳については、細かな規制を踏み越えてはいけないが、身近なこまごまとした礼儀などの小さな徳については、その範囲を少々乗り越えても大丈夫だと言っています。子夏は、門人たちがあまり小さい徳、つまり細々した礼についてやかましく言って教条主義(形式主義)に陥ることを警戒して、大きな徳や道を実践するための「最低限守るべき規則」を意識して自分の行動を判断すればよいと教えています。
 私が2番目(昭和44年度)に赴任した工業高校では、まだ生徒たちとの年齢差が少なく、ほとんど“友だち感覚”でつきあっていました。その中でも、担任をした工芸科(のちにインテリア科と改名)のF君と、その親友・N君と特に仲良くなりました。彼らは、お勉強のほうは、まあ標準というところでしたが、私が顧問をした「放送部」で大活躍していました。彼らと私は音楽の趣味も一致していて、当時、イージーリスニング・ミュージックが大流行していて、特にポール・モーリア楽団とレイモン・ルフェーブル楽団がダントツで、FM放送でエアチェックしたヒット曲をお互いシェアして楽しんでいました。学校行事でマイクを使用する場合は、この学校ではその関連業務を一切放送部に任されていました。彼らは自分のクラスから離れて、ある場合は「放送室」で、ある場合はグランドや集会所(当時、体育館はなかった)で放送スタッフとして活躍していました。顧問の私は、入学試験のときは、受験室監督でなく放送室でアナウンサーをしていました。高梁工業高校、素晴らしい学校でした。放送室を管理する電気科の特にI先生が、私と放送部を絶対的に信頼してくださったこともあります。時々、昼休みや放課後に放送室内だけでモニターで流している音楽が、チャイムが入った途端に全校一斉放送に切り替わって、全校に流れて大慌てしたりしましたが、電気科の先生方は「笑って許して」くださっていました。F君やN君は、生活態度はとても真面目で、法律違反・校則違反をしたことはなかったですが、彼らが言うには、「僕たちは実は違反スレスレまでやっている。それでも十分範囲は広いので、そこからはみ出すことはほとんどない」と。まさに、「小徳は出入して可なり」です。彼らとはその後も現在に至るまでずっと年賀状のやり取りは続いていますが、数年前からN君とは途絶えています。このお正月の年賀状でF君にたずねたら、早速SNSで知らせてくれました。彼らも70歳になっています。元気な内に再会したいです。

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