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スレッドNo.197

リーダーシップ

Q0378 
 リーダーシップの話です。自分が今どうなのかなと迷っていることなんです。文化祭というのがありまして、総合学習なんですが、私は学年の担当なんです。うちの学校が不思議なのは、3年生だけが劇をやって、1、2年生は観るという形なんです。よその学校から来た先生から、「1,2年は何もしないのはどう思う?」という意見が出だして、年度の途中でそんな意見が出てきたので、「それはもう提案済みです」と、パーンと蹴ったんです。今年はそれで終わりました。そのあと、先生方にアンケートをとってまとめました。実際にやったのは3年生で、学年の先生として「成果と課題と気づいたこと」ということでまとめました。それを職員会議に出しました。で、終わったんですが、「1,2年生も何かやったほうがいいんではないですかという意見が出ていた」と追伸に書いてあったので、「それは私の仕事ではありません。プロジェクトチームを別に立ち上げてやってください」と蹴ったんです。で、その後動きだしそうにないんです。誰も何も言いそうにないんです。私は知らん顔しようと思っているんですけど、このままでは来年度もまた引きずりそうで、私も責任を感じていたり、私の仕事じゃないことには手を出さないぞと決心しながら、学校全体のためにはどう動くべきかと迷っています。

A0378
 管理職はどう言っています?「管理」だから管理職がまず意見があるでしょう。
Q
 管理職は、「1,2年生も何かしたほうがいいんじゃないか」という意見が出たときには、「そうだね」と言った。
A
 このごろの管理職はみなそうです。自分に経験がないから、誰かが言ったら「そうだね」と言う。反対したら、「そうだね」と言う。
Q
 私の仕事は、「総括」を出したらそこまでで、「あとはプロジェクトチームを作ってやってください」と言ったときには、みんな黙っちゃったので、知らん顔していました。
A
そのプロジェクトチームは、いつどうやってできますか?
Q
 わかりません。
A
 管理職はどう言っていますか?
Q
 そのことについてはコメントはなかったです。みんな黙っちゃいましたから。
A
 だから、管理職に「プロジェクトチームをいつ作りますか?」と言ったら?
Q
 私は推進派じゃないんです。
A
別に推進派ではなくても、次どうするかはプロジェクトチームが決めるでしょ。
Q 
 「プロジェクトチームでやってください」というのは私の判断なんです。
A
じゃあ、それは通ってないんだ。承認されてない。違う?知らんけど。チームを作ろうということ自体がまだ決まってないんだ。
Q 
 決まってないんです。
A
そんなら何も決まってないんだ。
Q
 何も決まってないんです。
A
何も決まってないなら、惰性で動く。よくわからないけど、どこが問題なんですか?例えば、1年生から3年生まで全部劇をやるというのも、3年生だけやるというのも、どっちもありうると思う。あなたが問題だと思っているのは何なんですか?
Q
 私個人的には今の形のほうがいいと思っています。
A
なら、そう言えばいい。
Q
 「私はそう思います」というのは言っているんですけど、私が決めることではなくて、学校全体が決めることです。
A
決めるのは学校全体ですけど、意見を言うのは個人の責任です、いつも。どんなときにも自分の意見を発信し続けないといけないと思います。決定権があろうがなかろうが、僕たちは人生について、道徳的・倫理的な、善いことと悪いこと、正しいことと間違ったこと、美しいことと醜いこととの判断を道徳的と言うけど、3年生だけ劇をやって、1,2年生は見学にまわるのが、私はいいと思ったら、権限があろうがなかろうが、そう思うのなら、言うのが自分の責任だと思う。民主主義社会で暮らすわれわれの責任だと思う。僕は学校に対して何も権限はないんですけど、学校のことを言い続けるんです。南京事件にも沖縄事件にも何も関係ないけど、言い続けるんです。それは道徳的な判断なんです。これは言わないと不道徳だと思う。最終的に、「お前が言うのは違う」と決めれば、そっちに従います。民主主義者ですから、私は私の意見を発信しますが、みんなが違うと言ったら、「いや、絶対これでいくぞ」とは言いません。そんなのしたら、民主主義社会そのものが潰れるから。だから、もうちょっと言ったらどうですか。おとなしくしてないで。だいたい、あんたはそうやね。あのときもそやったけど。(爆笑)
Q
 自分の意見をバーンと出す、最後に。それをしないんですね。
A
そう。だからまわりの人にわかりにくいよ。「あの人何思っているか」が誰からも見える人でいたほうが、向こうが私を取り扱いやすくない?「野田さんに話したら、どうせこう言うで」というのが先に見えてるほうが、わかりやすくていいやんか。
 意見を発信し続けることというのは、今すごく大事なことだと思う。こんな世の中になったからこそ、むなしいと思っても、言い続けないといけない。持続は力で、言い続ければ声は届く。届いた範囲は変わっていく。たくさんのことで、イヤがられようが、反対されようが、僕は言い続けているんですよ。反対する人は当然いる。私は1つの立場をとっているから、「あんたの意見は違うで」と言う、それはOKです。民主主義とはそれだと思う。例えば、大阪府下の落選している議員さんがいる。この人は核武装論者なんです、はっきり。選挙のときに、自分は核武装論者だと言うから、徴兵と核武装を言うから、落ちたんです。前は通っていたのに、選挙制度が変わって、落ちた。でも、徴兵・核武装の人も国会へ行ってほしい。共産主義革命を起こして、天皇は潰せと言う人も国会へ行ってほしい。国民のある比率でそんな人たちもいて、その人たちの代表として国会へ行って話をしてくれると、一番国民の意見を反映したものが決まると思う。極端な意見を言う人を排除するのはおかしい。僕、自分自身は中道論者だと思っている。徴兵論者でも核武装論者でもない。反対でもないし、賛成でもない。考えてるんですけどわからない。強力な再武装は反対です。そんなのしたら、最後は竹槍ですからね。意見は発信し続けないといけないと思います。学校とかお役所とかは、意見を言わなくても暮らせる。役人の生ぬるさは、僕も15年も公務員をやりましたから知っています。あそこで意見を言えば、唇寒いんです。おとなしくしていれば無事安全に定年まで暮らせる。よくわかるけど、それやっていると変わらないよ。うるさいやつだと思われても、長いことつきあっているとわかってくれると思う。ごり押しで自分の通そうとしているのではない。ただ、意見を発信しているだけで、決まったら従ってくれる人だとわかってくれれば、そのうちイヤがられなくなる。(回答・野田俊作先生)

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