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スレッドNo.205

論語でジャーナル

21,子貢曰わく、君子の過ちや、日月の蝕(しょく)するが如し。過(あやま)つや人皆これを見る、更(あらた)むるや人皆これを仰ぐ。

 子貢が言った、「君子の過失は、ちょうど日食・月食のようなものである。君子が過ちをすると人民がみんなこれを見ている。そしてその過ちを改めると人々はこれを仰ぎ見るのである(褒め称えるのである)」。

※浩→日食・月食は月日の故意の行為ではないということは、君子の過ちが故意の行為でないのと同じだというのは面白い、と吉川先生。君子は、過失を隠蔽してしまうのではなく、日食・月食のように一時的に過失をすることはあっても、再びその過失を公開してそれを改めようとする。人々の尊敬や感嘆は、全く過失をしないパーフェクトな人に集まるのではなく、過失を素直に認めてそれを改善しようとする人のところに集まる。子貢の比喩の使い方は、師匠の孔子を上回るのではないか、と貝塚先生。君子といえどもパーフェクトではないというのは、われわれ凡人にはありがたいです。政治家の不正が露見したときに、謙虚に国民に謝罪する人は少ないようです。「秘書がやったことで自分は知らん」とか言って、最近も言い逃れをしていた人がいたようです。国民は確かにこれを見ていますが、次の選挙にあまり影響が出ないので、政治家はますます厚顔無恥になるのでしょうか。
 アドラー心理学では、人間は決して完全な存在ではなく、不完全な存在だから、それを受け入れる勇気を持つよう教えられています。過ちを犯したら素直に改めればいいのです。過ちを犯したときの責任の取り方は1)原状回復、2)再発防止策、3)(感情を害していたら)謝罪する、でした。

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