論語でジャーナル
23,叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)、大夫に朝(ちょう)に語りて曰わく、子貢は仲尼より賢(まさ)れり。子服景伯(しふくけいはく)以て子貢に告ぐ。子貢曰わく、諸(これ)を宮牆(きゅうしょう)に譬(たと)うれば、賜(し)の牆(かき)や肩に及ぶのみ。室家(しつか)の好(よ)きを窺(うかが)い見るべし。夫子の牆や数仭(すうじん)、その門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。その門を得る者或いは寡(すく)なし。夫子の云えるも、亦(また)宜(うべ)ならずや。
叔孫武叔が朝廷で同僚の大夫に(悪口を)言った。「子貢は仲尼よりも優れている」。子服景伯はそのことを子貢に知らせると、子貢は言った。「先生と私とを屋敷の塀に喩えましょう。私の塀の方はやっと肩の高さくらいですから、屋敷の中の良いところがすっかり覗けます。しかし、先生の塀の高さは10メートルほどもあります。門から入らないと、宗廟の立派さや役人たちがたくさん立ち並んでいる様子は見えません。先生の門の中に入った人は少なく、あの方(叔孫)がそう言われるのももっともですが、そんなものではございません(私は孔先生の境地にまったく及びません)」。
※浩→「叔孫武叔」は魯の名家・叔孫氏、名は州仇(しゅうきゅう)、諡が武。魯の大夫としてかつて孔子の同僚でした。「子服景伯」は魯の大夫、子服は名は何忌(かき)、諡は景。叔孫武叔は孔子よりやや年の若い同僚でしたが、孔子に好感を持っていなかったようです。次の条でも孔子を謗っています。
子貢が、自分と孔子の思想家・為政者としての『器の大きさ(格の高さ)』の違いについて、「塀の高さの比喩」を用いてわかりやすく解説しています。孔子の実際の人格(徳性)や知性の素晴らしさは、孔子の門下に入った人間でないとなかなか理解することができないが、長年孔子のもとで教えを受けた子貢にとっては、自分と孔子の実力を比較されること自体が畏れ多いことでもあったのでしょう。とてもうまい比喩だと、吉川先生。
私は、カリスマ的な野田俊作先生から現在の智慧・知識の蓄えのほとんどを得ました。そして、私が講義する内容もそっくりそのまま、「学はまねぶ」でやっています。あるとき私たちの講座のすぐあとで、地元で野田先生の講座があり、私たちの講座の参加者お一人(Yさんとしましょう)とK先生と私とで参加しました。野田先生の講義を聞いたYさんは密かに、「大森先生からすでに聞いているし-」とおっしゃいました。「そんな畏れ多いことを!」と、K先生と大爆笑でした。最高に善意に解釈すると、ご宗家の野田先生が教えられるよりも、弟子筋で凡人の私が教えるほうが、学ばれる側からはわかりやすいのかもしれません。私の話はわかりやすいと、これまでにも多くの方から言われていますから、まんざら“おべんちゃら”でもないのでしょう。慢心しないように要注意です。