高1男子、保健室登校への援助・かかわりは?
Q0389
高1の男子生徒のことです。私の担任クラスの生徒です。中学時代よりの不登校傾向。高校入学後10日ほどで来なくなりました。その間、面談したりするうちに、6月半ばより保健室には来始めました。授業には出るものと出ないものがあります。出席時間数の問題で、進級できる可能性は低い状態です。留年が決まっても親は「学校に行かせたい、たとえ保健室でも」という意向です。私はどういう援助、かかわりをすればいいですか?
A0389
保健室へ教科書を持ち込みなよ。学校は勉強しに来るするところです。高校生なんだから、小学校1年生と違って、学校へ来るとか勉強するとかの意味を子どもに考えてもらわないといけない。何のために学校へ来るかというと、子どもが自分が持っている力を社会に役立てる形に作り替えるためです。今の学校は残念ながら、その本来の使命をいつか見失いました。社会との関係の中で、子どもが社会に貢献できる人材を育成する場所ではなくなった。子どもが幸福であるために学ぶ場所になった。つまりエゴイズムの巣窟になった。教師は、子どもを幸福にする気になってはいけない。僕らは子どもを幸福にする気なんかありません。子どもが自分で幸福になるべきです。僕らが考えるのは、子どもをどうやって社会に役立つ人間にするかです。それは今のこの現実の社会ではありません。この現実の社会は潰すべきです。
この前、勉強会でたまたま愛国心の話をしていました。新しい教育基本法とか新しい憲法の草案と関係しながらね。皆さんは愛国心についてどう思いますか?私は基本的に愛国論者です。売国奴非国民ですが、愛国論者なんです。それはどういう意味かというと、日本国政府に対しては何の未練もないんです。自民党政権であろうが民主党政権であろうが共産党政権であろうが、権力は権力で正体は同じで何も変わらないと思っているから、僕が言う国というのは国家のことではない。ただ、天皇制には賛成なんです。天皇がいなくなって大統領制になると、経験的に、外国でやってみた結果、政治的に不安定になる。イギリスやタイとか日本は安定的に政治ができる要素として王様を持っている。ただ僕は天皇制には賛成ですが、天皇家には未練はないんです。今の天皇家を、いやならやめてもらっていい。代わりにイギリス皇太子のひとりをお迎えし、ダイアナ妃の血統なんて素敵じゃないですか。それを日本の国王になってもらうというのはどうですか?こういうと、みんな、中島さんでさえ変な顔をしたんですけど、今のイギリス王室はドイツ系ですよ。ハノーヴァー家でドイツ人です。昔イギリスの王家が断絶して、ドイツのハノーヴァー公爵に来てもらってイギリスの王様になってもらったんです。それ以来、血統的にはずっとドイツなんです。イギリス人のお嫁さんをもらったから混血していっているけど、本来家系としてはドイツ人なんです。その前の王様はフランス人だった。その王様たちはイギリスの貴族、土着の人たち、イギリス人とさまざまな悶着・やりとりがあって、それでイギリス民主主義ができていきます。ずーっとここ1000年くらい、イギリスの王様は外国人だから、日本もそれでいいじゃない。だから、世界の王家をずっと見渡すと、やっぱり国民の、特に女性の圧倒的支持はダイアナ妃の子孫ですから、そのへんをもらってくるのも悪くないと思う。政府はどんな政府でもいいんですが、一応、王家だけ「天皇」はちょっと厚かましいから、「日本国王King of Japan」にして、王政であったほうがいい、くらいのことしか思っていない。それはどっちでもいい。どっちでも良くないのは何かというと、「国土」と「国民」と「歴史」。日本の国土というのをどう思いますか?竹島を韓国にあげたほうがいいと思う?北方領土はロシアにあげていいと思う?北方領土や竹島は諦めてもいい、なんだったら。北海道とか四国とか九州とかはずっと日本でいたほうがいいと思わない?このごろ韓国は、「対馬は韓国固有の領土だ」と言う。対馬は違うぜ、どう考えても。だからあれはあげない。それから、「国民」。国民というのは、別に「日本民族」という意味ではない。今、日本に居住していて、日本にアイデンティティを持っている人。アイヌの人とか沖縄の人とかも日本国民だと思うし、韓国とかイギリスの人で、日本に帰化して日本国籍を持った人は日本国民だと思うけど、この人たちは一緒にやっていく決心をしているわけだし、それから僕たちが昔から持っているものを一緒に保持していこうとしている。ご挨拶の仕方とかいろんなことね。アメリカやヨーロッパへ行くと、すごい違和感があるのは、ご飯食べるとき、「いただきます」と言わない。食べ終わって、「ご馳走様」と言わない。だから何かテーブルについてざわざわと食事が始まる。何も挨拶なしに終わる。「なんて原始的なやつらだ」と思う。それは別にこっちの勝手で、こっちの文化を向こうに押しつけてはいけないのでかまわないのですが、でもそこの気持ち悪さを僕は持っていたいし、子どもたちも持っていてくれたほうがいいと思う。だから、ご飯食べるとき「いただきます」と言いたいと思い、食べ終わったら「ご馳走様」と言いたいと思うので、アメリカ相手でも言うことにしていて、「いただきます」と言うと、「君は何をしているのか?」と言うから、「日本の神々とアメリカの神々と仏陀とに挨拶をしている」と言うと、「おー素晴らしい」と彼らは言う。そういうふうな暮らし方は保持したい。そうすると、だいたいの日本人が「愛国心」というものをOKだと言うと思いませんか。「国土」と「国民」と「伝統」。でも今それを破壊する教育をしている。法律にさえそのことを書けない。そのことについて議論ができない。「愛国心」と言ったとたんに、みんな軍艦旗が戦艦大和が零戦が飛ぶんです。それってすごく原始的だと思わない?そんなん「学習1=条件反射」ですよ。動物レベルですよ。ほとんどネズミですよ。そのことについて理性的に話をしてみようよ。いったい国家って何なのか、社会って何なのか。その中で自分の役割は何なのか。私はいったい何をしなきゃいけないのか。ボーッと暮らすことができないんです。この「国土」とこの「国民」とこの「歴史」を守る責任がひとりひとりにあると思わない?守るのは別に戦争するという意味ではない。僕たちが「いただきます」「ご馳走様」と言って、子どもたちにも「いただきます」「ご馳走様」と言う生活が素敵だと思うようにしてもらうこと。僕たちが道で会ったら、ちゃんと「こんにちは。お久しぶりです」とご挨拶することね。そういうことを子どもたちに教え、子どもたちが誇りを持ち、また子孫に伝えていってほしいと思いませんか?そのために必要なことを教える場所、われわれがわれわれの暮らしを維持するために必要なことを教える場所が、本当は学校なんです。学校は、別に数学や理科や社会を学ぶだけの場所ではない。そこは子どもたちの経済的繁栄、裕福な暮らしを保障するための場所ではない。企業のための職業訓練所じゃない、本来。特に初等教育は。でも、いつごろからかそうなったんです。それは文部省(今の文科省)と日教組の合作です。文部省は文部省で1つの思惑がありました。日教組は日教組で1つの思惑がありました。その合体した場所に現在の学校教育ができました。そこでは、ですから別の思惑が全部抜け落ちている。文部省が持っていた資本主義的思惑と、日教組が持っていた社会主義的・共産主義的思惑が見逃しているものがある。それはアニミズム的、シャーマニズム的、アナーキズム的、思惑ね。人間が、国土とか自然とか歴史とか先祖とか子孫とかと結びついた場所で生きていく思惑ね。人間が自然のシステムの中に完全に溶け込んだ一部として、人間が見えるものと見えないものと交流しながら生きていくものとして、人間がみんなで問題を共有し、みんなで信じ合い助け合って生きていくものとしての、そういう思惑が学教教育から完全に抜け落ちたんです。そこには、「金稼ぐぞ」という資本主義的思惑か、世界征服の共産主義的思惑しかない。そこで子どもたちが極端な「ミーイスト」に育っていく。だから、不登校児が出てきているなら、それは学校改革の良いチャンスです。子どもたちに話をまずしながら、先生が子どもたちから教えてもらいながら、いったい未来の学校って何なのかを考えるチャンスだと思って、お勉強もしながら、学校教育の意味とか人生の意味とかを考えていかれたらどうですか?(回答・野田俊作先生)