透析を拒否する患者
Q0403
透析されている方が、透析の中に毒を入れられているという理由で拒否をされています。病院をいろいろ替えたり、家族が付き添ったりして工夫しましたが、結局、家族と話し合いをして、透析しないことを選択されました。選択の自由であると考えますが、支援する側として、何か支援するとしたらどのようにしたらいいでしょうか?
A0404
死んでもらおう。人間は死ぬ権利がある。生きる権利があるなら死ぬ権利がある。それをご本人に説明します。透析をやめるとあなたは早晩尿毒症になって死にます。それでもおやめになるのはOKです。あなたの選択の自由です。あなたの体にはもはや自然治癒力はないんです。自然治癒力がないのを透析で延ばしてきましたが、拒否なさるならば死んでもらいます。その結末を引き受けてもらえますか?OKならOk。
私たちは間違った思想・哲学の中で暮らしている。人間が自分の死を自分で選べる権利があると思ってない。何が何でも生かしてやることが良いことだと思い込んでいる。私自身は、ある状況のときに自分が死ぬのを選ぶ権利を絶対主張します。ある状況というのもいろいろあって、例えば末期癌で手術して、このままではかなり痛みがするやろうねというのがはっきりしているときに、何かの方法で自さつする権利を確保しておきたい。するかどうかは別として。というようなことは認めてほしい。ただ生きてることが幸福だと思わない。幸福に生きることが幸福なんです。幸福に生きてることができないから幸福に死ぬというのはありうるんです。だから、ご本人が死ぬ側を選ばれるなら、それはみんなで機嫌良く送り出してあげよう。医療も積極的に人をころすと犯罪ですけれども、ご本人が死ぬ側を選ばれたときに死ぬことを支援するのは、医療の正しい役割だと思います。だからホスピスというものがあるわけです。ホスピスも若干問題はあるにしても、そのへんの思想的な医学の哲学的なところで、本人の死ぬ権利をカチッと押さえて考えると、家族と本人が選ばれたのなら、「透析するかそれとも尿毒症になって死ぬかどっちを選びますか?」と言って支援します。完治はギブアップです。(回答・野田俊作先生)