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スレッドNo.238

学校へ行くのは「課題の分離」で家での暮らしは「共同の課題」?

Q0406 
 学校へ行くことは課題を分離して子どもにお任せし、家で暮らすことの共同の課題を同時にするという選肢も可能ですか?

A0406
 意味がよくわかりません。学校へ行くことはどの道子どもの課題です。学校へ行くとか行かないとかは子どもの自由選択です。学校へ行くことについて子どもに「協力してください」と言われたときだけ、共同の課題になると思う。本来自由選択なんです。小さい子が、「お母ちゃんがついて行ってくれんと学校よう行かん。ついて行ってくれる?」と言ったら、それはついて行ってあげる選択はできるけれども、中学生や高校生が学校へ行かないことに決めたら、親にできることは、学校へ行く行かないに関してはないんです。ここは課題の分離も何も、はじめから共同の課題にする根がない。共同の課題にするのは、別の場所にある。どにあるかというと、社会人になるためにできること。「パセージ」の行動面の目標、自立するとか社会と調和して生きられるために、何か手伝えることがあるかな?というところで選べる。別に家事をやってもらうのに限らない。家事というのは、自立するとか社会と調和するために向いていると思ったときはそうなんだけれど、そうでないときもあります。家で勉強するというのもあるかもしれない。学校でできないことをする。ときどき高校生なんかで、「せっかく学校へ行かないんだったら、いつまで学校へ行かないか決めようよ」と言います。今だったら、4月も押し迫ってまいりましたので、7月の20日から夏休みだと、7月18日までは行かないで、19日に行く。終業式にね。それまでは行かないと決める。終業式に行ったら、夏休みに「学校へ行ったぞ」という気持ちで過ごせる。終業式に行かなかったら、1学期行かなかったという気持ちで過ごすじゃない。無理強いしないけど、夏休みに学校行ったぞという気持ちで過ごすほうがいいじゃないかと思うので。では、もっと早く行くとどうか?早く行くと疲れるでしょう。ギリギリいっぱいに行くというのをひとつ提案します。9月の新学期から行くというのは賛成しない。新学期から行ったら3か月もある。そりゃあかんで。行くなら12月20日から。そしたら、冬休みや正月を「学校行ったぞ」という気分で過ごせる。学期の終わり、1週間の終わり、朝から行くと疲れる。金曜日の午後から、お昼ご飯終わってから行くとかして、気分良く週末を過ごすといいかなというようなアイディアは出すかもしれない。話としては、7月末まで学校へ行かないと決まりました。そうすると5月と6月と7月の前半が完全に浮く。その間をどう有益に使うか?その間は学校へ行かないことに決まった。採決して満場一致で。その間を無駄に使うか有益に使うか選べる。自由なんです。親としては有益に使ってほしい。例えば、沖縄へ旅行に行く。もうちょっと遅いと、9月くらいならサトウキビの収穫がある。これは“ドレイ”がたくさん必要なんです。サトウキビは粗放農業で、播いたら播きっぱなしで育つんですけど、収穫のときだけものすごい人手がいる。そのとき農家は、若い人たちに、「宿泊付き飯付き給料ほとんどなし」の援農体験をしてもらう。これがけっこう面白い。行くと、サトウキビを昼間刈って、夜は同じような子がいっぱい来ているから、盛り上がって遊んで、また朝からサトウキビを刈る。あるいは、北海道で昆布の収穫がある。これがまた面白い。これも若い人手がたくさんいるのに人材がいないから、全国から集める。この際ひとつ外国旅行に行くのもいい。マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマーを通ってインドまで行って帰ってくるプランの中で、「頑張って行っておいで」と言って、あまり金もやらないで行ってもらうと、ものすごく強くなって帰ってくるか、完全にボロボロになって帰ってくるかでしょうが、そんなのを話し合って、この数か月を一番有益に使えるにはどうすればいいか、あなたの将来に結局役に立つだろうという、良い不登校をしたい。学校へ行ってないからできたんですごい素敵なことじゃないですか。そういう話し合いを積極的やるという手もある。共同の課題にするって何かというと、結局子どもが育つように、子どもが成長するように、子どもが立派な大人になるように共同の課題にするわけで、あんまり晩飯作ってもらおうとか勉強してもらおうとか、みみっちいことを言わないで。でかいスケールで共同の課題を考えましょう。(回答・野田俊作先生)

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