MENU
64,888

スレッドNo.240

精神障害者への勇気づけ

Q0408
 障害者の特別支援専門医をしています。精神疾患を見ている人との相談です。本人自身がやってみたいことや自分がこうありたいという気持ちが強く、本人なりに取り組んでいますが、途中でやめてしまい、相談員にも苛つくことがあり、保護者もその傾向に振り回されて疲弊しています。本人を勇気づけたり、保護者に対してもできることがあれば、助言をお願いします。

A0408
 なんで精神障害になるか?人はなぜ精神障害になるかというと、2つ理由があって、1つは生理的な理由で、1つは心理的な理由です。生理的な理由というのは、脳の代謝障害です。これは医学の問題で、お医者さんがお薬を処方してくださって、まあある程度なんとかなる。これはお医者さんお任せなんです。もう1つの心理的な問題、こっち側はお医者さん以外の人たちが手伝わないといけない。だいたい精神科の医者にカウンセリングをしてもらおうという太い心がけを、たわけたことを望んでいる人がいるけど、それは無理なんです。精神科の医者はカウンセリングの訓練を受けてないから。精神科の医者は脳の内科医です。精神科の医者の主たる役割は診断をつけてお薬の処方を決めることです。あと、書類を書くとか。それ以外のことは精神科のお医者さんに期待しないでほしい。私なんかちょっと変種で相談しますが、これは道楽でやっているだけですから、本務だと思ってない。本務はお薬の処方をすることです。それと、コ・メディカルスタッフ、外側にいる人たちとが連携していて、外側にいる人たちは生理的じゃない心理的な側面をカバーする。
 じゃ、心理的な側面は何かというと、不可能な理想を直すことです。プラスが実現不可能なんです。だって統合失調症の患者さんが大企業に勤めてバリバリ働く、そんなの実現不可能です。だから、まず実現可能かどうかを最初に話をします。不可能は、言うと勇気くじきになりますから、さしあたって、例えば半年以内にほんとにできそうなものは何だろうか。それができたらまた次のことを考えようや、と言って、半年とか1年とかというレベルで実現可能なことを考える。私も何人か統合失調症の患者さんのお手伝いをしていますが、だいたいこの線で行きます。私のところでは、入院を長いことなさっていて退院してきたアフターケアを、病院でやるのはウザイから、開業クリニックでやってもいいかと思って、まあお薬は病院で処方されたものを出して、あと生活指導をする。病院に長いこと入院されてきた方には、こっちとしては、就職するとか社会適応するとかはあまり目標にせずに、さしあたって家庭内に居場所ができるのが一番いいと思っています。食事とかを自分で作れるようになったら大したもんですけど、家族が作ったものをちゃんと食べて、いくらかお手伝いできるとか、清潔の習慣を保てるとかいうのを、さしあたった目標にしましょう。そうしましょうと決めたら、向こう、医療スタッフも「そんなんでいいんですか?」と言うんですよ。イケイケどんどんで、社会適応しようとか、ソーシャルスキル・トレーニングとかいって、いろんなことができるようにしようって、統合失調症の患者さんに芸を仕込もうという風潮がわりとあるんですけど、僕はあんまり芸を仕込んでまであの人たちに何かしてほしいと思わないんです。われわれの社会は、障害者を養えるだけの経済的ゆとりのある社会なんです。その人たちが、例えば生活保護だとか、他の社会保障でもって暮らせるということは、僕らにとって喜ばしいことで、そんな人にまで働いてもらわなくても、われわれは飢えないで暮らしていけるんだと、あの人たちの食事とかがわれわれの税金とかから出ているのは、喜ばしいことだと基本的思っているんです。アドラーがそう書いています。何がなんでも社会適応させようとか、錫杖的に自立させようと、まずこっちは思ってない。こっちが生半可に、「あんたできるやろ」と言うと、話がややこしくなる。別に「働いたらいかん」とは言わない。働きたいなら働いてもらってもいいけど、まず、実現可能な目標と将来の理想的目標に分けよう。その「実現可能な目標って何やろね?」というのを話し合いたい。それが第一点。
 第二点は、実現可能な目標に向かって動き始めたら、できてるところは評価し、できていないところは何もしない。「これはできたね」、「これはできませんか」と、例えば半年「何かしよう」と言って、三月(みつき)目に挫折して仕事を辞めたら、「み月も働けたね」とこう言おう。「この次は四月(よつき)働けるかもしれんね。まあ二月(ふたつき)かもしれんけど、み月は働けたね」という話をしよう。それを何とか一生働けるようにしよう、なんてことを言うから、話がややこしくなる。だから、向こうの実現不可能な理想にこっちも巻き込まれているんです。特に家族が結構実現不可能な理想の手伝いをするんです。「なんとかこの子を結婚させろ」と言うんですよ。やめてよ。こんなん結婚させてどうするのよ。患者さんは男の人であれ女の人であれ、やっとこさ私とはなんとか話ができていて、デイケアセンターなんかにも行っていて、デイケアの人とも話ができている人を、「ちょっと結婚させたら落ち着くんでは」なんて言うんだけど、こんなんさせたら配偶者が迷惑を被るがね。障害者同士が結婚するのを、自分たちが望むんだったらいいけど、望まないのに、「なんとかまあいっぺん一緒に暮らしたらよーなるんと違うか」と親が思うんです。親が、なんとかこの子を就職させたいと言うんですよ。少し頭冷やして考えて。「この子、ほんまに結婚できると思う?」「あきませんかー」。あかんでよろしいがね。今の状態で、部屋の中で暴れもせず、お薬も自分できちんと飲んで、状態が悪くなったら、「入院してくるわ」と言って自分で行くようになったらこれは最高や。統合失調症者の状態としては理想像です。自分で服薬をし、食事なんかも与えられたらちゃんと食べ、逸脱行動せず、ムードが悪くなるときは、まわりに無理やり入院させられるんじゃなくて、自分で自主的に入院して、あるいは入院までしなくても、「先生に薬をもらうわ」と言えるようになったら、これは理想的なコントロール状態です。それを家族が、「これやれるんだったら、次、働けるんと違いますか」「これできるようにになったら、もっと人づきあい上手になりませんか」と言うから、話がややこしくなる。本人の勇気づけをするために、まわりの人の勇気をくじくんです。障害者というのは、みんなで支えて、医者は医者の役割としてきちんと薬を処方し、必要に応じて入院してもらい、もし必要なら退院してもらい、ある支えをし、コ・メディカルワーカーは生活支援をし、訪問看護師さんはその仕事をし、家族は家族でその仕事をし、みんなが協力しておくことね。この人にとってはどういうのが最終的な望ましい状態なのか。なんでこの人が非現実的な理想を持つかというと、まわりに非現実的な理想を持っている人がいるからです。それに応えているから。いろんな人といろんな話し合いをして、この人はさしあたって、永久にとは言いません、一生のことは人間誰にもわかりませんから、ここ1年や2年はこんなところで維持できるととてもいいと思います、とまわりが意見を言う。精神神経学会、精神科医の学会に行っても、意見の相違があって、積極的に社会復帰プログラムをガンガン進めているお医者さんもいるし、そんなことをする必要があるのかねって、そんなことをしてもほんとに本人・患者さんが幸福になるのかねって、社会が家族がそういうことをほんとに必要なんかねって、それって医者の自己満足ではなかろうかという意見もある。僕はどっちかというと、後者派なんです。そこまですることないんちゃうかと、いろんなあり方があって、しかも平等なんです。働かない障害者というのもひとつのあり方でひとつの平等なんです。バリバリ働く健常人もひとつのあり方でひとつの平等で、どっちが優れているわけでもない。どっちが劣っているわけもない。人生の選択で、おのおの選択をお互い同士大事にし合おうや。健常人と同じように働けるようになったら自由だと思わない。
 医学というのは背後に哲学がないと暴走する。医学というのはまあ技術。技術は包丁で、包丁は凶器にもなるし、お料理を作るのにも使える。凶器になるかどうかは、背後に哲学があるかどうかです。今や医学はほとんど凶器です。新しいお薬がどんどんできてきて、新しい治療法ができてきて、われわれは何をしているだろうって、思想なしに道徳観念なしに、これ使うって、それ薬屋がただ稼いでいるだけじゃないか。ちょっと間違った方向へ走っている。患者さんに利益になる、ほんとに社会の利益になる医療って何だろうって、医者ひとりひとりが考えないといけない。また、話し合わないといけない。(回答・野田俊作先生)

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top