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スレッドNo.321

お金を入れない主人:不潔で口もききたくない、顔も合わせたくない

Q 
 主人は生活していくお金を入れてくれず、人のためのボランティアみたいなことをしている。私が仕事をしているので、私をアテにしているのだと思う。また、イヤらしい本やビデオを買ってきたりして、主人のことが不潔に思え、口もききたくないし、顔も合わせたくない。どうすればいいのでしょうか?

A
 離婚したらよろしいがな(笑)。あのね、最後の手段としてそれは考えておいたほうがいい。イスラエルでは、結婚のときに同時に離婚の慰謝料を決めるんです。万が一離婚したらどのくらい支払うかをね。
 離婚イコール不幸だとみんな思うけれど、そんなことないです。離婚は、不幸にすればいくらでも不幸になるけれど、不幸でない離婚はたくさんある。どうしても一緒に暮らせなくて、一緒に暮らすことはものすごく不幸だという事態に陥っているときがあります。そのような、離婚したほうがまだマシだというような場合には、離婚をすればいいと思う。
 離婚するときに相手を憎む必要は何もないんです。離婚する夫婦は必要以上に相手を憎んで、その憎しみのパワーで離婚しようとする。それはバカげていると思う。それをやりますと、子どもへの影響までが致命的になるんです。5年でも10年でも20年でも、一緒に暮らしてくれたということは嬉しいじゃないですか。どうしても一緒に暮らせなくなるときが来てしまって、そして別れるとしても、それまでの生活というのは決してマイナスばかりではなかったはずです。それはそれでたくさん感謝すべきことだと思うんです。例えば、お母さんが子どもを引き取るとして、子どもに対してわれわれがしてあげなければならないことは単純明快です。「お父さんとお母さんは一緒に暮らせなくなりました。けれど、あなた方のお父さんであることは変わらない。だから、会いたくなったらいつでも会いに行ってかまわない。お母さんはお父さんのことを今では好きでなくなった。だけど、あなた方がお父さんのことを好きでも、それはちっともかまわない」。これだけ教えればいいんです。あとは何もいらない。
 もし再婚するんだったら、「今度家に来る男の人は、お母さんがとても好きな人です。だから一緒に暮らしたいと思う。あなた方もその人と友だちになってくれるととても嬉しいけれど、それはあなたたちが選べばいい。それで、その人はあなた方のお父さんではない。あなた方のお父さんは、今は離れて暮らしているあの人しかいません。だから、“おじさん”だと思っていい。お母さんのボーイフレンド。だから、その人は名前で呼んでかまいません」。
 そうすると、子どもたちはちゃんと育ちます。多くの人は、自分の憎しみを子どもたちにも一緒に分かち合おうとしてしまうのね。「私はあの人キライ!あなたたちも好きになってはいけません!」。そんなことを言うから不幸な子どもが育つんです。離婚の影響は決して致命的ではありません。むしろ、非常に夫婦仲が悪いところで育っているほうが、よほど悪いです。
 それで、夫婦が一緒にやっていけるかどうかというのは、たくさんの判断の基準があります。生理的なレベルとしては、例えば触られてもイヤという状態になっていると、しんどいですね。臭いとか、肌触りだとか、そういう生理的な触覚的な面がイヤな感じになっていると、とても苦しい。それから、同じ経験をしても、まったく違うところを注目している夫婦は難しいです。具体的な話をしますと、ある男の人とある女の人が結婚をしようとしても、なかなか踏み切れないというカップルがいた。両方ともある程度年を取っていて、慎重になっているんです。だいたい結婚というのは、若い無分別なときはすぐできるんだけれど、少し分別ができると恐くてなかなかできなくなるものですね。それで相談に来たんです。僕(野田)は宿題を出しました。まず2人で食事に行ってもらいました。そのあとで、「レストランはどんなふうでしたか?」と聞いた。すると、男の人は、「あのレストランは入り口のドアが面白くて、大きな木のドアで覗き窓がついていた。中へ入ったら、家具が全部黒い木でできていて、しっとりと落ち着いて良かった」と言いました。女の人に聞いたら、「窓がアルミサッシではなく木の窓枠で、柱なんかもしっかりしたもので、とても良かった」。2人ともまったく料理の話はしないけど、同じ体験をして同じところに注目しているでしょう。こういう夫婦はやっていける。相当違うなぁという夫婦でもやっていけるんです。ところが、一方は「ボーイさんが美男子だ」と言い、一方は「椅子が良かった」と言うのは駄目なんです。レストランに行く程度のことだったらいいけど、例えば子どもが非行化したとか、借金を抱え込んだとか、いろいろなトラブルが起こったときに、まったく見ているものが違うというのは、話し合いが成立しないんです。夫婦自身が、自分たちで問題を解決する力を持たなくなったときというのは、難しい。
 第3番目に、この人生に期待しているものが違うときです。ご主人のほうは、波瀾万丈・冒険の人生が欲しい、奥さんのほうは安定した生活が欲しいと言うと、難しいです。究極的にどんな人生でありたいかということは、夫婦がやっていけるかどうかの大事なポイントなんです。
 第4番目は、これはそれほど大きくないんだけど、揉(も)め始めると結構大きな要素になるのが、実家の生活水準です。わりと質素に暮らしてきたご主人と、「みすぼらしいものは食べてはいけない」と言われて育ったお嬢さんとが暮らすと、初めのうちはいいんですが、トラブルが起こったときにそれがとても大きなことになってしまうことがありますね。古風な言い方ですが、“家の釣り合い”というのも大事なんですね、結局。
 それくらいのところでトラブルがあって、トラブルを自分たちの力で修復する力がないと、離婚ということも考えていい。もちろん離婚しなさいと言うのではなくて、離婚ということも一方では考えておいたほうがいいということです。
 このケースですと、まずご主人は、自分のお金をボランティア活動なんかにつぎ込むということが、自分の人生の1つの大きな設計なんですね。奥さんは違う。奥さんは、もしかしたらご主人に養ってもらうのが設計なのかな。そこらへんの食い違いが、調整できるものか、できないことなのかによりますね。全然調整できないんだったら、一応離婚ということも考えながら、今後の生活設計してみる。
 夫婦って面白いもので、「別れる」と思ったらいろんなことが辛抱できるようになって、いつの間にかしっくりくるようになることもあります。それは、やはり依存心があるわけよ。奥さんは、理想の亭主に対する期待を現実の相手におっかぶせているのね。「もういつでも別れてやるぞ!」と思ったとたんに、現実の亭主の背後にあった理想の亭主が消えるのね。だから全部辛抱できるようになったりする。このポルノビデオの話も、どうもその類のように思えます。ご主人がポルノビデオを見るのは、まぁいいじゃないですか。元気になられて。“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”で、やることなすことみんな憎くなっちゃっている。というのはね、きっと愛情があるから。
 うまくいく結婚生活というのは、自分の理想を相手に押しつける度合いが少なければ少ないほどうまくいくんですね。現実の、この気の合わない男と、どうやって仲良く暮らしていくかを、工夫し始めるとうまくいくんです。あの男をうまく改造しようと思っている間はうまくいきませんよ。うまくいかせようと思ったら、この奥さんはまず離婚のことを考えてみる。亭主なしで暮らすことを考えてみる。亭主なしで暮らすことを考えて、今のほうがまだましだと思ったら、一緒にいること。亭主なしのほうがいいと思ったら離婚することです。(回答・野田俊作先生)

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