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スレッドNo.33

論語でジャーナル

30,子曰く、過ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。

 先生が言われた。「過って改めないこと、これを過ちと言う」。

※浩→吉川幸次郎先生は「解説の必要なし」で終わりです。貝塚先生が少し解説されます。過てば則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」は「学而篇」にもありました。単なる過ちは問題ではない。過ちの処置が大切である。不完全な人間であれば、誰も間違いや過ちを犯すことはありますが、その誤りに気づいた時に改めていけいい。まるで、アドラーの一番弟子ルドルフ・ドライカースの「不完全を受け入れる勇気を」みたいで、親近感を覚えます。学校の先生方、生徒指導でこの心構えは大切だと思います。学校の生活指導は伝統的には懲罰でした。校則違反、虞犯(ぐはん)行為、法令違反などをなした生徒の指導は、かつては“謹慎指導”と呼ばれていました。いつの間にか“謹慎”という言葉が消えて“特別指導”となっていました。名称が変わっただけで中身は変わっていないと思います。違反の軽重によって、最も軽いのが「生徒課長説諭」「校長説諭」、「謹慎(今は「特別指導」)何日」と、だんだん重くなって~「無期」~「退学勧奨」「退学命令」でしょうか。「退学命令」はほとんどなくて「勧奨」です。昔は「家庭謹慎」が普通でしたが、これもなくなって「学校内謹慎」になりました。家庭謹慎では真面目に謹慎しないで遊ぶからという、生徒への不信感が溢れています。そもそも学校は普段、生徒を指導しているのに、その上にさらに指導するというのはどういうことなんでしょうか?お料理に適量のお塩を入れているのに、さらに塩を加えるみたいです。保守的な学校も21世紀になって、さすがに徐々に変化してきたでしょうが、根幹は“一罰百戒”主義であることは否めません。手前贔屓ですが、学校にはほんとにアドラー心理学が導入されるといいと思います。アドラー心理学では、「失敗(違反)への責任の取り方」3か条があります。↓
1)原状復帰(失われたものの回復・弁償・修理など)
2)再発予防策(過ちを繰り返さないために決意と方策)
3)謝罪(感情的に傷つけた人がいれば、きちんと「ごめんなさい」を言う)

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