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スレッドNo.342

双子に学力差があるが……

Q 
 子どもは小学校2年生の双子の男の子です。学力に差があります。

A
 そりゃあるでしょうね。双子だったら余計に差が出るんです。きょうだいというのは、競争して育っていきます。例えば、男ばかりの3人のきょうだいがいるとしましょう。どんなことになるでしょうか?
 一番上のお兄さんは、最初ひとりっ子だったわけです。ある日、お母さんが赤ちゃんを連れて帰ってきて、「これはあなたの弟よ。かわいいでしょう。あなたとは一切差別しないで平等に扱うから、かわいがってあげてね」と言う。でも、これは嘘です。だって、お母さんは徹底的に手のかかる下の子ばかりにかまいます。この人が何かグズグズ言うと、「あなたはお兄ちゃんでしょう。我慢しなさい」と言われます。このお兄ちゃんはきっと怒ります。怒ったお兄ちゃんはどう考えるか。「弟に奪われた母親を取り返さないといけない…」。母親は「平等に」と言うけど、平等でも50パーセントです。もともと100パーセント独占していた母親を50パーセントにされただけでも頭にくるのに、実際は90パーセントを弟に奪われて自分は10パーセントくらいしか残っていないから、カンカンに頭にくるので、まあ100パーセント取り返そうとは言わないものの、できるだけたくさん取り返そうと思います。
 さて、どうやったら取り返せるか。2種類のやり方があります。うんと良い子になるか、うんと悪い子になるか、どっちかにすればいい。うんと良い子になって、何でもできるお兄ちゃんになると、「偉いわね。さすがお兄ちゃんだわ。何でもできるね」と、母親の愛情がたくさんこっちに来ます。メチャメチャ悪い子になって、ずっと母親に叱られ続けると愛情は来ませんが、少なくとも注目は来ます。
 人間というものは、特に子どもは、かまってもらえないのに比べれば叱られるほうがまだ好きです。一番好きなのがほめられること。次が叱られること。かまってもらえないのが一番嫌い。かまってもらえないと思うとせめて叱られようと思いますから、うんと悪い子になる可能性もあります。
 真ん中の弟の立場は、生まれたときからお兄ちゃんがいます。しばらくすると下の子が来ます。ですから、この子は一度も親を独占した体験のない子です。お兄ちゃんには普通何をやっても負けます。お兄ちゃんがうんと悪いほうを選択してくれていればまだ楽ですが、うんと良い子のほうを選択して、お勉強もできるし、友だちづきあいもうまいし、喧嘩も強いといったスーパーお兄ちゃんだと、弟としては取れるものがあまり残っていない。それに、競争をしても年齢差がありますから、負けます。
 では、弟はどんなことをするかと。2つあります。1つはメチャメチャ親孝行の子になるか、もう1つは、親を見限って外へ遊びに行く方法です。ですから、中間の子というのは、親に大変密着して、肩を揉んだりゴマをすったりするのが上手な子か、全然親を気にしないでずっと外で遊んでいるような子かの、どっちかになる可能性が高いです。
 さて、こういうふうに優秀でバリバリ勉強をしているようなお兄ちゃんと、それから外へ遊びに行っちゃっているようなお兄ちゃんを2人持った末っ子はどんな位置でしょうか。まず、母親の態度が上2人とは全然違う。一番上のお兄ちゃんが小学校に入ると、「今日から君は大きいんだからね、全部自分でやるのよ」と言います。一番下の弟は、小学校に入っても中学校に入っても、お母さんは、「あなたはまだ小さいんだから気をつけるのよ」と言います。ずっと赤ちゃん扱いです。では、この子は何を学ぶかというと、「僕はお兄ちゃんみたいにバリバリできたり、何でも自分でする子になったら駄目なんだ。なるべく赤ちゃんをしていたらお母さんはこっちを向く」ということを学びます。だから、この子は、わりと赤ちゃんぽい子どもになる可能性が強いです。
 もちろん、きょうだいの位置でこんなことが全部決まるわけではない。けれども、生まれる位置によって選べる範囲というのはかなり決まってきます。うんと良い子かうんと悪い子とか、母親に密着する子か離れる子かとか、あるいは、可愛くて人に愛される赤ちゃんタイプの子か、ムチャクチャ世話がかかって何もできない子になるとか。こういうように、選ぶ範囲はかなり決まってきます。
 それで、なぜこういうふうになるかというと、親という賞品をめぐってきょうだいがレースをするからです。親からの愛情、愛情でなくてもせめて注目が少しでも自分のところへ来るように、きょうだいがレースをするからです。どんな親であるかよりも、きょうだいがどんなきょうだいであるかのほうが、僕たちの性格を作る上で大きな影響を与えます。このきょうだいレースは、年齢差が近ければ近いほど激しくなるはずです。
 すると、双子というのは一番激しい。競争が激しいと、きょうだい間の性格はすごく対照的なものになります。例えば、勉強という点で兄が良くできていると、弟はきっと勉強を選ばなくて、あんまりできない子になります。お兄さんが人づきあいがあんまり上手でないと、弟は人づきあいが上手になります。隣り合うきょうだいはとても対照的な性格になりやすい。双子というのはとても違う性格になりやすい。しかも、年齢の離れたきょうだいに比べて具合が悪いのは、勝ち負けがはっきりしやすい。全部勝つ子と全部負ける子に分かれやすい。年齢が離れていると、ある程度はこれでは勝ち、これでは負けということになるけど、双子だと競争が激しいから、どちらかが徹底的に勝ってしまう可能性があります。どうやらそうなりかけていますね。ですから、学力に差があるだけでなく、喧嘩をしても片方のほうが強いし、友だちも片方のほうが多かったり、いろんな点でどっちかが有利に勝っているんじゃないかと思います。
 なんでこんなことが起こるかというと、それは親が学力が高いことはいいことだと信じているからです。いい成績を取ってくると、親とつながりができると子どもが信じているからです。だから、学力をめぐっての競争が起こる。この学力差をなくそうと思ったら、親が学力というものに関心を失うのが一番です。学力というのは結局は点数のことだから、最終的にどんな点数を取ってくるかということに親が関心がある限り、このきょうだいは今後ともますます学力でもって、「賞品をもらえたとかもらえなかった」と言って離れていくでしょう。
 そんなことしたら、勉強をしなくなるんじゃないか。そんなことはないです。勉強の結果でなくて、努力のほうに親が注目するんです。勝っても負けてもいいから、途中を走っているということ自体を、すごく大事だと親が思ってほしいです。
 それから、いつも言うんですが、子どもを叱ったりほめたりして育てるという発想から抜け出てほしい。そうではなく、勇気づけというやり方に変えてみてください。小学2年生というのは、勇気づけがとてもうまくできやすい年齢です。勇気づけというのは、一番わかりやすく言えば、子どもに向かって「ありがとう」とか「嬉しい」とかと言うチャンスを探すことです。
 子どもが学校で良い成績を取って帰ってきました。さて、何を「ありがとう」と言いましょうか。あまり「ありがとう」と言う材料じゃないです。そう思いませんか?
 「良い成績を取ってくれたね。ありがとう」と言うと、ちょっとおかしいです。だから、良い成績を取ってきたというのは、勇気づける材料ではない。勇気づけなくていい。なぜかというと、子どもは良い成績を取ったことでもう勇気づけられているから。追加支援しなくていい。
 子どもが一生懸命努力しているのを見ると嬉しいでしょう。としたら、「あなたが一生懸命お勉強しているのを見ると、お母さんは嬉しい」と言ってもいいです。ただし、ほんとに嬉しかったらね。ほんとはあんまり嬉しくないけど、子どもに勉強させようと思って言っては駄目です。下心はすぐ伝わるから。だから、もう少し自分の内側の感情に敏感になって、「子どもが何をしているとき私は嬉しいか」ということを、まず感じ取ってください。「子どもに何をさせたいか」というほうを忘れてほしい。頭で、これはさせたい、こんな子にしたい、こういうふうな子どもに育ってほしい、ということをやるから、結局こんなことになるんです。それをやるから、きょうだい間の競争が激しくなって、だんだん差がついてきます。特に双子のきょうだいの場合は要注意です。
 子どもと一緒にいることを嬉しく感じ、それに感謝の言葉をあげたいと思う時間がいつもあるか。それを思ったときにその言葉をかける。それだけでいいです。すごく簡単です。そうすると子どもたちは、おのおのの個性を発揮していくでしょう。しばらく勉強にこだわらずに、その子たちと一緒に暮らす中で喜びを見つけてください。自分の中にある感謝の心とか、喜びとかというものを伝え始めてください。それが愛情ある母親です。子どもを自分の好みの人間にしようというのはサーカスの調教師であって、人間の母親ではない。(回答・野田俊作先生)

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