論語でジャーナル
16,子曰く、如之何(いかん)、如之何(いかん)と曰(い)わざる者は、吾れ如之何(いかん)ともすること末(な)きのみ。
先生が言われた。「『どうしようか、どうしようか』と言わない者は、私はどうしてやりようもない」。
※浩→「天は自ら助く者を助く」ですか。「どうしたらいいのでしょうか?どのようにすればいいのでしょうか?」と自分の疑問や困難について質問しない人は、どうにも助けようがないということです。孔子の教育は、弟子に一方的に教え込むのではなく、弟子の問いにしたがって指導するのです。“啓発主義”と言えばいいでしょうか。
「述而篇」に、「子曰わく、憤(ふん)せずんば啓せず。非(ひ)せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反(かえ)えらざれば、則ち復(ま)たせざるなり」とありました。現代語訳すると、「自分で悩み、心がいらいらするくらい考えない者には指導しない。自分の考えを何と言ったら良いか口に出しかかってむずむずしているくらいでなければ教えない。一を教えたら三倍の答えや疑問を返してくるくらいでなければ二度と教えない」ということです。ソクラテスの「問答法(対話法)」も、師が一方的に教えるのではなかったです。彼は、青年たちをつかまえては、対話による哲学的な思考の教育を行いました。相手の主張に対してソクラテスはそれに反駁し、相手に己れの無知を気づかせて、真の知に至らしめるという方法を用いたため、“助産術”とも呼ばれましたが、自分の無知を思い知らされた相手からの反感を買い、それがもとで誤解を生み、「怪しげな神を信じ、若者を惑わした」罪で裁判にかけられたことはご存じのとおりです。
孔子はソクラテスほど“皮肉屋”ではなくて、弟子から恨みを買うことはなかったでしょう。昔、テレビ朝日で『一休さん』というアニメが放映されたことがあります。主題歌が、子ども向けのアニメにしては、ませていて、「好き好き好き好き、愛してる、好き好き好き好き、一休さん、とんちは鮮やかだよ一級品、いたずら厳しく一級品、だけど喧嘩はからっきしだよ三級品、あーあー、南無さんだ。望みは高ーかく果てしなく、わからんちんどもとっちめちん(これ、意味不明)、とんちんかんちん一休さん、好き好き好き好き愛してる、一休さん」。寺男の孫・さよちゃんがガールフレンドなので、こういう“大人げた”フレーズが入っているのでしょうが、幼子がこの主題歌を「好き好き好き好き……」と歌っているのは、かわいらしくもまた小生意気でもありました。このアニメで、筆者が一番かわいいと思ったのは、“どちて坊や”です。何かにつけて「どちて?」と聞くので、みんなが回答に窮します。会う人ごとに質問攻めにするため周囲からは嫌われていて、一休さんでさえ苦手にしています。この子は実は戦災孤児で、南北朝争乱によって両親を失っているんです。本名は“こうた”で、安国寺の隣村で祖父母と暮らしていました。誰もがみんな逃げ回る中で、ただ1人、さよちゃんだけは、「どちて?どちて?」と聞かれるたびに、「それはね……」ときちんと答えていて、ある日その様子を見た一休さんが恥じ入る一幕があります。さよちゃんは、カウンセラーの資質を持ち合わせています。