夫から誘われるがイヤでたまらない
Q0478
結婚して13年たちます。夫は性生活をよく誘ってくるのですが、私はイヤでイヤでたまりません。月に1回くらいはさせてくれと言ってくるのですが、月に1回はは多すぎると言って断ります。どのように考えると、月に1回くらいはイヤじゃないと思えるようになりますか?
A0478
sex上手になる。sexは訓練のいることだと思う。妙な話をしますが、僕ははるか昔に初めてsexしたときにすごいがっかりしたんです。期待しているじゃないですか。若い男の子としては、モワモワモワといっぱい期待しているのに、実際やってみると、「あらまあ」という感じだったんです。今は「あらまあ」という感じではないんです。長い間にsexについて考えもし学びもし訓練をしていたんです。sexというのも「人間的出来事」なんです。動物はsexをしますよね。動物のsexは「自然的出来事」なんです。それを僕たちは若いときに自然の力でsexをしました。でもそれが一生そのまま続くんじゃないんです。人間の営みとしての性生活が、それとは別に築かれていかないといけないと僕は思うんです。それは勉強がいると思う。sexについてトレーニング、勉強して、本を読んだり、そういうことについて話し合ったり、学ぶ場所があったり、ほんとはしなきゃいけないんです。ところが今の文化は残念なことに、sexについてオープンな場所できっちり学ぶことがとても難しい。まして実習付きで学ぶことが難しい。これはいつも言って、みんなをびっくりさせるんですが、アメリカは「sexセラピー」があるんです。sexセラピストたちは、夫婦でも夫婦でなくてもいいんですがクライエントさんが来たら、性についての正しい知識をきっちり学んでもらおうと思う。今の学校の性教育は、sexのやり方ではなくてsexをしない方法、いかに子どもたちにsexをさせないかのほうを学ばせようとする。そうじゃなくて、sexというのをやろう!と、積極的にやっちゃおうと思うんです。sexというものを思い切り楽しもうと思う。sexから得られるものを得ようと思う。それは男と女がハグ、抱き合う最も深い抱き合い方じゃないですか。あれ以上近づけないんですよ。人間的な交流としてsexというものを全面肯定してしまおう。でも今親の育児や学校の性教育とかでは、半分否定しているんです。昔ほど全面否定していないけど、半分否定しているんです。半分否定した子ども時代を通り越しているから、大人になってもsexに対する無意識的なこだわりがいっぱい残っていると思う。そこのところを本を使ってsexを肯定できるようにしよう。でもこんなの頭でいっぱい肯定してもしょうがないから、やっぱり実習がいると思う。アメリカでは、ラスベガスのあるネバダ州だけが「買収防止法」がないんです。そこはsexを産業にできるんです。だから、いわゆる売春婦さんはよくないけれど、sexセラピストの研究所がいっぱいある。そこへニューヨークの人もサンフランシスコの人も、ラスベガスへ最後仕上げに実習に行くんです。そこのsex研究所にはトレーナーがいて、男性には女性の、女性には男性のトレーナーがついて、実際にsexしながら教えてくれる。そうすると学べるじゃないですか。「あ、そうか。sexってこんなことだったんだ」って。「ではおうちへ帰って、ご主人と/奥さんとでしっかりsexやってください」と言われて、「はいわかりました。頑張ります」とうちへ帰って円満にsexができるんです。そうやって、sexというのは学ばなきゃいけないことなんです、ほんとは実習付きで。でも、日本ではお話まではできるんですが、実習をやりますと、この国は「売春防止法」がありますから、僕が専門のトレーナーの男の人と女の人と雇って、ここの奥の部屋をsexトレーナーの部屋にして、「はい、奥さんこっちは入って旦那さんこっちへ入ってしばらく頑張ってください。教えてもらってごらん」とやったら、私は手が後ろへ回るんです。週刊誌が飛んでくるんです。「こんな邪悪なことしている!」って。なんでsexを教えることが邪悪かよくわからないんだけれども、でもそれは邪悪なことだという価値観を教えているんです。それでみんなsexについてまったく無知のまま結婚するんです。動物的なsexしか知らないで。そこで「人間的な性生活」に成長しないままで夫婦生活をするから、こんなことになるんです。夫のほうだって、動物的な性欲の話をしているので、人間的な抱擁の話を多分してない。妻のほうもそんなことについて考えたことがないんですよ。sexというのは男の女の遊びのうちの1つなんです。それは上手にやればとてもいいもんです。ヘタにやるとつまんないもんです。どうやって上手にやるかというと、今上手にやるための本がたくさん出ているんです。sexの本は大きく分けて2種類出ていて、1つは昔ながらのsexの捉え方の上に乗っかって書かれた本。例えばこの国でsexについて書き始めたのは謝 国権(しゃこっけん)とかドクトル・チエコとかいう人が、大体昭和40年ころから「ハウツーもの」の本を出し始めるんですが、これはsexの観念が昔ながらなんです。男性が女性をどうやって喜ばせるかという立場から書かれている。そこには男と女の精神的な、あるいはスピリチュアルなつながりとしてのsexが書かれていない。肉体の感覚を大きくする方法を書いてあるだけなんです。これってつまらない。第二種類は、インドのタントラsex。インド人が瞑想としてのsexを考えたのがアメリカに入って、タントラ系のほうから書かれた本がいくつかある。今sexを考えるとき、そっちの影響をみな多かれ少なかれ受けるんです。だからsexというのは「体の出来事」じゃないんだって。「心の出来事」なんだというほうから書いているタイプの本があるんです。そういう本を自分たちで探してごらん。自分たちで探すこと自体が、良いものと悪いもの、正しいsexと間違ったsex、望ましいsexと望ましくないsexを見分ける目を作っていくでしょう。何かイヤらしいドロドロしたポルノふうのsexから抜け出して、ほんとにスピリチュアルなsexに向かっていく訓練を夫婦2人でなさったほうがよろしい。私に「本を教えてちょうだい」と言わないように。あっちに英語で書いた本ならいっぱいあるけど。人にたずねないで、自分で“クエスト”ね。クエスト“探求”したほうがいいと思う。sexというのは、今まで何百年か何千年か思い込んでいた「動物的行為」じゃないんです。インド人たちはもう2000年ほど前から、sexをとても神聖な瞑想の一種だと捉えたんです。インドでもその知識は秘密にしないといけない知識だった。密教として仏教の中でもヒンドゥー教の中でも伝えられてきました。弘法大師は中国へ行かれて、その秘密のsexの儀式を学ばれたみたいです。彼の書いたものを見ると、実習付きできっちりやったみたいですが、日本には彼は伝えなかったんです。だって弘法大師のころというのは、万葉集が書き終わったころですから。日本は古代からやっとこさ抜け出したころで、とてもそんなめくるめくような高度の文化を伝えられるような状態ではなかったので、彼は知ってたけど弟子には教えなかったんです。中国でもそのあと仏教の排斥がありました。「破仏」と言う。仏教迫害があったので絶えてしまいました。チベットにはずーっと知識としては伝えられてきているので、さいわいチベット人が世界から隔離された場所にずっと冷蔵庫みたいに保存してくれたので、今でも完全な知識として残っています。それをチベット語やサンスクリット語から読み解いて、現代語への翻訳がやっと始まりました。ただそれらは密教ですから、秘密の暗号で書いてあるんです。日本語でもいつくつかの「タントラ」、sexに関する経典の翻訳がこのごろ出始めました。高野山大学の松永先生なんかが出されまして、たくさんあるんですけど、でも読んでもわからないんですよ。というのは、そこに師匠の口伝の注釈がついている。こう書いてあるのはこういう意味、こう書いてあるのはこういう意味って、表の意味と裏の意味が違うので、裏の意味がわからないように美しく書いてあるんです。そうしないと迫害されたから。それをアメリカとかヨーロッパの学者たちが、現代の人に読み解けるように、今読み解きつつある最中です。その成果はたくさん出てきています。だから普通われわれが思っているのと違うレベルのsexがある。それはとても聖なる出来事で、ほんとに男性と女性とが神秘的に合一できる体験なんです。そこに向かって、両方とも知らないから、学んで夫婦2人で実験をして「きっとそういうことが起こるんだ」と思って、しばらくやってごらん。そしたらこんな馬鹿な質問しなくなるから。(回答・野田俊作先生)