見返りのない愛は?
Q
見返りのない愛、求めない愛、キリスト教の愛との違いは何でしょうか?
A
そんなもんないよ。マザーテレサはインド人を食い物にして天国へ行ったんです。彼女はものすごい大きな見返りを求めて、インド人を自分の犠牲者にしたんです。飢えている人とか癩の人とかを助けるというのは、彼女の「目標追求」「力への意志」じゃないですか。そこには見返りがどっざいあるんです。もしもキリスト教の教義をちょっと変えまして、「人を助けても天国へ行けません」とやったら、彼女はすぐにやめるでしょうよ。見返りのない愛なんかは今までなかったんです。特にキリスト教はその点では非常に間違ったことを教えてきました。僕、イエス・キリストは嫌いじゃないんです。いい人だったと思う。でも、キリスト教は嫌いなんです。キリスト教がこの世界に、われわれ東洋世界にしてくれたことは、いいことよりも悪いことのほうが多かったと思う。例えば、南アメリカね、南アメリカはスペイン人たちがキリスト教に乗っかって宣教したんです。それでいくつもの文化を破壊しました。インカの王様を拷問にかけて、火であぶりながら黄金のありかを「吐け、吐け」と言って吐かせて持って行ったんですよ。中国へはイギリス人たちがアヘンを売って中国人をみんなアヘン中毒にしたんですよ。中国はイギリスが通商を求めてきたときに、イギリス人の言い分としては「お互いどうしの余っているものを交換すれば両方が潤うだろうからぜひ交易をしましょう」と言ったら、中国の王様は「中国には足りないものなんか何もない」と言ったんです。「イギリスの国王が中国の属国として朝貢するのであれば、お土産をたくさんとらせるであろうが、対等の貿易なんてとんでもない」と、それは中国の昔からの立場ですから、そう言います。イギリス人は困りました。実際中国人はイギリスのものを何も買わなくても生きられた。イギリス人は、中国の陶器とか絹とかがすごく欲しかった。そういう点ではイギリスのほうが文化的には貧しかったから、で、中国人が何も買わないと、銀で買うから銀がどんどん出ていきます。イギリス人は何か物を買ってほしかったんです。でも中国は何もいらなかったたんです。イギリスは中国に売るようなものを何も持ってなかった。日本人はたくさん持っていました。椎茸とかナマコとか。イギリスには椎茸もナマコもないからね。とうとう最後、唯一中国に売れる商品を見つけたのがアヘンなんです。キリスト教徒のやったことというのは、われわれの文化を根底的に破壊することだし、それなりに安定していたわれわれの社会を不安定にすることばっかりだったではないですか。日本は江戸時代にもしも開国を迫られなければ、もっと緩やかに開国していっただろうし、あんなに領土拡張に狂奔しなかっただろうし、日清戦争も日露戦争も第二次大戦もなかっただろうし、違う形で発展したかもしれない。日本自身の自発的な動きであれば。でしょ。で、そういう領土拡張だとか、西洋文化絶対主義というのが今でもずっと動いているじゃないですか。まったく縁もゆかりもないイラクとかアフガニスタンに爆撃しているのは、キリスト教と関係あると思いませんか?キリスト教徒が自分たちの発明した民主主義とか自由とかいうものを世界に押し売りしているんです。だから僕は、キリスト教が愛の宗教だとはまったく思わない。アドラーも当然キリスト教徒ではありませんから、キリスト教を愛の宗教だとは思わないから、彼は「愛」という言葉を使わなかったんです。ユダヤ教は愛の宗教ではありませんからね、全然。神の愛なんて考えてないから、神との契約しか考えてないから。だから見返りのない愛というのを僕たちは今まで知らなかったし、これからも知らないと思う。原理的にありえないから。人間が相対的マイナスから相対的プラスに対して目標追求している限りは、見返りのない愛はありえないから。目標追求をやめてしまえばいい。完全にこの世界の流れの中に呑み込まれて暮らすことが可能であれば可能なんですが、今無理なんです。かつてお釈迦様とかそのお弟子さんたちはそういう境地に達したみたい。なんでかというと、それで食えたから。完全に自分の所有とか支配とかを何もかも離れたところにいる人たちに、インド人はお布施をする習慣があったんです。だからその人たちが乞食(こつじき)生活、ただ毎朝歩いて、「食べ物恵んでください」と言えば恵んであげるという文化がある場所では、完全に目標追求を落として完全に自然の中へ溶け込んで生きることができます。日本でもできないことはなかったです。良寛様は何もしてなかったですね。今の言い方で言うと、彼は統合失調症ですから、それも廃疾状態ですからかなり変わった状態で、今の世の中に良寛様が暮らしていたら、たぶん精神病院の中にいたと思うんですけど、当時の社会は、彼のように「行き所」、精神的な行き所を完全に失ってしまった人のことを聖者だと認識したわけです。それで良寛様にお米やお味噌などをみんな差し上げた。で、彼は子どもと遊んでいたり、友だちと字を書いたりなんかして暮らせたんです。ま、道楽をして暮らせたんです。でも今あれやっていると、三日四日すると食べ物がなくなるんですよ。今の世界はお金が絶対いるんですよ。今自給自足は無理なんですよ。なぜか?所得税とか固定資産税とかあって、最低税金を払わないといけないじゃない。私の友だちに自給自足を目ざして頑張っている人が何人かいるんです。田舎の廃村をタダで貸してもらって、そこへ農作物を作って暮らしますね。それで完全に自給自足できるかというとできないんです。だって何かの形で税金を取ろうとするの、政府は。何であれ少しお金がいるんです。そのお金がいるためには自給自足経済から抜け出さないとできない。何か町へ出てお金になることをしないと、自分で作った物を自分で食べているだけでは暮らせない。世界の構造がそうなっている。その中では僕らは悟りを開けない。私だって、こんなことをして金を稼がないで暮らせたら、もうちょっといい仕事をしたでしょう。そうかな?サボったかな?どっちかわからんけど。学者だって、19世紀までの学者は働かないで食えたんです。働かないで食える状態を僕らはもう想像できなくなっている。例えば田舎から仕送りがあった人たちがいる。フィッツジェラルドというイギリスの詩人兼学者…何かかんかする人がいるんですけど、彼なんかは貴族の坊ちゃんで、ロンドンで暮らしていたんですが田舎へは全然帰ったことがなくて、不在地主で、そこから毎年お金を送ってくるから、それだけで暮らせる。仕事に一生就いたことはないんです。大学を出てクラブというところへ行きます。クラブというのは、男の人たちが集まって何にもしないところ。トランプしたり雑談したり、ちょっとお酒飲んだりして暮らして、夕方帰るんです。次の日もそこへ行きます。それだけをして暮らします。あんまり暇だからペルシャ語でも勉強しようかと、ペルシャ語を勉強して、ペルシャの詩ってステキだと思ってそれをイギリスの言葉に翻訳して、それで暮らしたんです。道楽で詩の翻訳をしていたんですけど、すごくいい仕事だと思う。僕らが印税をもらうためにする仕事と、道楽者が金に関係なくやった仕事と、やっぱり違うよね。印税をもらうために仕事をすると、本が売れないといけないでしょう。本が売れないといけないというのは悲しいことで、読者を意識しないと書けない。読者を意識した本と読者を意識しないで書いた本とは値打ちが違うと思う。この間、論文を書いていて、ニーチェを引用したんです。ニーチェのいくつかの本を読んで、ベストセラー『ツアラツストラはかく語りき』は今なんかいくつもの本屋さんから翻訳書が出ていて、世界何十か国語に翻訳されていて哲学の世界では大ベストセラーですが、初版本は40部だったそうです。すごいなと思う。ニーチェが自費出版で、出版社に出してくれと言ったら、出版社が「じゃあ40部出しましょうか」と言ってくれて出た本で、あれは読者を意識してない本なんです。だから全然売れなかった本ですけど、今150年してやっぱり21世紀のことを何か僕らが根本的なところで考えようとしたら、どんな学者だってニーチェをいっぺん読まないと考えられないと思う。というのは、彼が働かない人だったから。読者を意識したら媚びて、100年も150年も先のことを書けないじゃないですか。だから、お釈迦様が悟れたのも働かなくてよかったから。今、誰もかれもが不在地主で働かないとか、お殿様のパトロンがついてそれに養ってもらう、お殿様でなくて親父でもいいけど、働かないでほんとに自分のやりたい仕事をするということが許されない社会だから、目標追求を落とせないんですよ。目標追求を落とせなくしたのは一体誰かというと、キリスト教徒さ。勤勉を道徳と考えるプロテスタントたちですよ。マックス・ウエーバーという人が、プロテスタンティズムと資本主義について本を書いていますけど、プロテスタントの道徳が「働かざる者食うべからず」道徳で、どんな人も働くべきだ、労働生産すべきだと言ったんです。そのプロテスタンティズムを知るまでは、日本人もそんなこと知らなかったんですけど、江戸時代の人たちは別に「働かざる者食うべからず」と思ってなかったので、で、落語の中の与太郎さんが存在するわけです。何してるかわからない人物がいっぱい落語に登場するし、何してるかわからない人が実際江戸時代にはいっぱいいたんです。それがみんな結局何かの形でまっとうに働かなきゃならなくしたのが、それが西洋思想で、その西洋思想の根底にあるのがキリスト教ですから、キリスト教は人類に幸福をもたらしたか不幸をもたらしたかというと、残念ながら不幸だと思う。イエス・キリストはいい人だったけど、キリストの弟子たちはそんなに賢くなかったと思う。クリスチャンいたらごめんね。(回答・野田俊作先生)