主体的判断を左右するもの
Q
その時々で個人の主体的な決断を左右するものはいったい何なんでしょうか?
A
個人は2つのものの間で決断をします。1つはライフスタイルで1つはライフタスクです。個人そのものはライフスタイルに支配されていないんです。ライフスタイルを使うだけなんです。こういうのを「使用の心理学 psychology of use」と言います。ライフスタイルも使用されるんです。ライフスタイルが僕らを所有しているんではない。一方にライフスタイルがあって、一方に外からやってくるライフタスクがあるわけ。で、このライフタスクを放っておけないと思う。「うちの子どもが勉強しない」とか、「うちの嫁はんは金を使いすぎる」とか、「うちの姑はちょっとボケてきた」というのがライフタスクです。そのまま放っておけない。何かしないと。どうするかというと、ライフスタイルと相談するわけです、どうしようって。うちの子ども勉強しないなあ。「いいんじゃない」というライフスタイルもある。「私は楽をしたい。めんどくさいことは避けたい」と思っているから「そのうち何とかなるでしょう」という結論に達して何もしないという人もいる。子ども勉強しないなあ。「私は優秀でなければならない」と思う。「子どもも優秀でないといけない」と思う人は、「人は優秀でないといけないとこの世に所属できない。落ちこぼれる。神経症になる。ホームレスになる」というライフスタイルで、「是非勉強しなさい!」と言う。ライフスタイルさんとライフタスクさんとの間で行ったり来たりしながら、「よっしゃ、こうしよう」って行動するんです。こういう考え方なんです。つまり、1つ1つの行動というのは、体が動くことだけじゃなくて、感情の動きとか内蔵の動きとか全部脳が作り出す動きを行動という。それはどうやってできるかというと、「ライフタスク×ライフスタイル」の計算でできるだろうと、こう思う。えらく線形なんですけど、1つ1つ行動について、「これはなんでか?」というと、ライフタスクがあってライフスタイルがあって、それゆえにこうしよう。こういう考え方をサイコダイナミックス(精神力動)と言います。ダイナミクスというのは物理学の力学ですから、ちょうど物理の公式のように、質量と重量とパチッと式で出てくるという感じで、精神力動と言っています。われわれの一々の行動はこうやって決まる。もっともこれは主体的決断で、そうしないこともできる。いつもだったら「勉強しなさい!」と怒鳴るところなんだけど、こないだ「パセージ」に出たら、怒鳴ると子どもが勇気をくじかれるので、そんなときは怒鳴らないで、「君は勉強についてどう考えているのかな?」って言うこともできるんです。そのときにはライフスタイルを使ってないんです。全面的にまったく使ってないということはないんですけど、いつもライフスタイルから出てきた精神力動的な答えと違う答えができるんです。違う答えがなんでできるかというと、「柔らかい決定論」だからです。アドラー心理学は、絶対的に行動が決まるわけじゃないんだって、いつも個人の自由意志という幅があって、違うことができる。その違うことは無限にできるかというとそうでもないんで、パセージに出たからといってやっぱり怒鳴る人もいるんです。なんでやっぱり怒鳴るかというと、意志が弱いからじゃなくて「怒鳴ろう」と決めているから。「怒鳴ろう」と決めなくて、パセージの魅力のほうが怒鳴るよりも大きくなれば怒鳴らなくなります。(回答・野田俊作先生)