刑法の責任論
Q
先生のお話をうかがっていると、「刑法」の責任論を思い出します。統合失調症の人や未成年者は刑を減免されますが、責任を負わせられない人というのはいるのでしょうか?
A
心理学は刑法の責任論に反対なんです。僕、論文書いたことがあるんですけど、心理学にとっては全員がその範囲内で責任を負えているわけで、別に統合失調症だからとか認知症だからといって刑を減免する理由はあまりないと思う。刑法が心理学を採用しないのはOKなんです。僕らが刑を決めるわけではないもの。刑法には刑法のロジックがあって、基本前提があって、1つは犯罪者に対して更生の援助をしたい。刑務所とかへ入れて、職業訓練をして、将来犯罪を犯さないように生きていけるようにしていくという援助をしたいというのが1つある。もう1つは応報刑で、懲罰を与えることによって、被害者や社会の納得を得たい。犯罪者にあんまりニコニコした待遇を与えてはいけない。拘置所や刑務所は夏暑く冬寒いようにとか、ご飯はなるべくおいしくないようにとか、つらい目に遭ってほしいんです。つらい目に遭うことが教育的だとは思わないけれど、社会に対して、つらい目に遭わせていますよということで、被害者に満足感があるでしょう。世の中でよく言うのは「刑罰を厳しくすれば犯罪は減るだろう」と。あれは統計的にはほとんど価値はないと心理学者はそう思っているし、教育法に関係する人たちもよく知っている。少年法を厳しくしたからといって、少年犯罪は減らない。そんなことで減るような人は初めからしてないわ。やるヤツはどんなふうに法律が変わってもやるわ。抑止効果というのも社会が求めているんです。社会がもっと刑罰を厳しくしてくださいと言うので、じゃあしましょうかという一種の社会の懲罰に対する満足感としてはやります。中国なんか「公開銃殺刑」ってありますもの。中国と日本とどっちが犯罪が多いかというと、向こうのほうが多いもんね。犯罪統計はきっちりないけど、中国の裏情報系のインターネットサイトがいっぱいあるんです。あんなところへどこかから情報が漏れ出てきているのを見ていると、最近の中国はかなり犯罪が多いんです。刑罰は無茶苦茶厳しい。でもあまり効果はないですね。本人の社会的更生半分、1つは社会に対する「罪人を罰しているよ」という満足半分でやっていて、これはどっちにしても僕らとロジックが違うんです。われわれは援助を求めてきた人と目標の一致をして協力するという枠組みの中で心理学をやっている。こっちで言っていることを向こうの、援助を全然求めてない犯罪者に対して懲罰を与えるという場所へ持っていくのは無理なんです。責任というのはそういう前提なしに中空にあるわけじゃなくて、刑法という文脈の中で責任というものがあり、心理療法という文脈の中で責任というものがあり、親子関係という文脈の中で責任というものがあるから、一般論として論じられない。だから心理学としては、統合失調症者や認知症のばあちゃんに責任能力はありますかというと、あります。ありますと思わないと治療できない。「この人たちは心神耗弱状態で私が何を言っても自分で判断できないんです」と思ったら、治療そのものが成り立たない。認知症のおばあちゃんに対しても統合失調症の患者さんに対しても、心理的に援助できる部分はしようと思っているから、その人たちの責任能力を認めないとしょうがない。