いじめ対策は?
Q
中学校の教師です。最近いじめへの取り組みがさかんですが、人間関係のちょっとしたトラブルも自分で解決したほうがこの子のためになると思うことも、もし自さつしたら教師が知っていなかったことが新聞種になるので、プレッシャーを感じます。
いじめはないのですが、「ないという学級が危ない」と校長が言う。いじめについてどう考えますか。
A
いわゆる「いじめ」というものはないと考えます。そもそも。「いじめ」というのは、「言葉」があって「もの」がない。「歩き」と同じ。「歩く」という“こと”はあるが、「歩き」という“もの”はない。
非行グループが1人の子を呼び出して、短刀を突きつけて「お前10万円持ってこい。持ってこないと顔中に傷つけるぞ」と言うのもいじめと言います。「ちょっと鉛筆貸して。今日忘れたから」「イヤよ」と言うのもいじめ。みんながワーッと話しているところへ入ってきて「ねえねえ何、何?」と聞いたら、「僕たちが話しているんだから入ってこないで」と言うのもいじめ。トイレへ連れ出して便器に顔を突っ込むのもいじめ。こんなものを全部同じ単語で呼んでいいと思う?ムチャクチャな命名法だと思う。
かつて堺市でO157が流行った。あるおうちの子がO157で入院した。退院してきた。自分のうちに小さい子がいるとすると、「あそこの子と夏休みの間は遊んでは駄目よ。O157にかかっているから。まだバイ菌がいるかもしれないから、もうひと月もしたらいなくなるから遊ぼうね」と言うと、「いじめだ」と言う。こんなのは世間の常識ですよ。うちに子どもがいたらそう言います。かかった子どもの親も「しばらく友だちと遊んじゃ駄目よ。あんたまだバイ菌がいるかもしれないから」と言うのが、保健衛生の常識です。
われわれの子ども時代の親、まだこの国に伝染病のあった時代の親はそんなのを知っていたから、「お多福風邪になったらしばらく友だちと遊んだら駄目よ」と言うし、友だちのほうも「あの子お多福風邪になったみたいだから、あそこへ行かんほうがいいよ」と言う。そうやってお互いどうし共存共栄的に守り合っていく適応的な合理的なシステムなのに、新聞はそんなのを「いじめだ、いじめだ」と言う。
いじめという言葉が、実体なしに、実にさまざまなものを、要するに新聞が取り上げたいものに付けられが、あんまり意味のない名前として使われている。そういうふうに使わないでおこう。非行グループが同級生を呼び出して10万円盗るのは、「恐喝」と言いましょう。トイレに連れていって顔を突っ込むのは、「暴行」と言いましょう。それに相応する正しい日本語があるんだから。恐喝をどうするかは簡単。恐喝事件というのは、最近急に発生したわけではなくて、明治時代よりもっと前からあったことで、僕たちは対処法をいくつか知っている。警察へ行くとか裁判所へ行くとかできる。暴行なら暴行で対処できる。鉛筆貸してくれないなら、もしも誰かが言ってくればそれなりに相談に乗れる。「いじめられた」と言われたら困る。何のことかわからないから。
子どもが「いじめられた」と言ったら、そのことについて詳しく聞きましょう。「いじめられるって何?」と聞いてみる。するとたいてい、いじめられるということじゃないです。
カウンセリングに来た子どもだと、「私はAちゃんが好き。遊ぼうと言ったらイヤよと言われた。いじめられた」と言う。そんなん「いじめられた」と言うなよ。要するに、あなたが面白くない子だから遊んでくれなかっただけ。あなたがしなきゃならないことは、遊んでもらえる面白い子になる練習をすること。「いじめられた」と言うと、「悪いあの人・かわいそうな私」になって、向こうが変わらなきゃならないことになる。でも、私は遊び方が下手なんだと思ったら、自分が変わらないといけないことになる。自分の問題としてとらえてほしい。
「いじめ」というのはとてもナンセンスな言葉です。いじめという単語そのものをやめたほうがいい。もっと詳しく実情を見て話したほうがいい。
クラスに対しても「いじめはやめましょうね」と言ったらおかしい。法に触れることはやめたい。相手を傷つける、自分を傷つける、ものを壊す、ものを盗むとかはやめてもらいたい。これは言います。
みんな仲良く遊んでほしい。できたらね。仲良く遊べないときは、ちゃんと丁寧に「あなたと遊ばない」と言う。「イヤよ」と言わないで、美しく、主張的に断る方法を教えてあげてください。
いじめを話題にしても、意味のない単語だから、意味のない葛藤が続くだけだと思います。