早期回想の変化
Q
早期回想の変化についてお教えください。
『実践カウンセリング』を読んで、最大のショックは、カウンセリングを受けることで早期回想が変わることがあるということでした。現在が過去と未来とを規定するということから当然のことかもしれないですが、1つのエピソードとしての記憶が変わるというのはショックでした。
私自身、夢に関して、見る内容がまったく変わるという経験が最近ありますが、これは今の自分が変わることで過去の経験に対する意味づけが変わったために、夢を見たことの選択肢を変えただけのことではないかと思いました。
「すれ違った女性が目をそらしたこと」をどう意味づけるかが変わることと、実はすれ違った女性が私を見つめていたと思い返すのでは、次元のまったく違うことではないかと思うのですが、早期回想の変化について教えてください。
A
こんなん興味を持たないでくださいな。どうしてかというと、まずそれは当たり前なんです。僕たちの記憶が変わるなんてまったく当然なんです。
たぶん10歳くらいを境目にして、記憶のメカニズムが変化するように思う。10歳の以前の記憶はスナップショットで、動きのない1つの場面だけです。
夕方にお手伝いさんに連れられて、南海本線住之江駅に電車を見に行ったら、何か泣いちゃった。視野がにじむんです。にじむと電車がウニョウニョとして面白かった。
という早期回想があるんです、僕。
そこで見えているのは、泣いてウニョウニョとした電車だけ。そこへあとから今、説明をつけている。このスナップショットそのものは子ども時代に撮られた写真で、これは変わらない。基本的にずっとその写真のまま。でも、説明のほうは絶えず変わる。お手伝いさんに連れられたかお母さんに連れられたか変わるかもしれない。泣いて電車ウニョウニョは、「あのとき結膜炎で目薬を差した」と言うかもしれない。電車じゃなくて自動車かもしれない。見えてる写真はそんなに鮮明なものではないから。今私の必要に応じて説明を付け加えるから、説明は絶えず変わる。
出てこなくなるかもしれない、必要がなくなったら。記憶というのは、たぶん倉庫に蓄えてある。倉庫の入り口へずらっと並べておく。新しい記憶が入ると前のを奥のほうへ押しやる。また新しいのが入るとまた入れる。ずーっと奥へ押しやるから、一番向こうのほうは闇の中に消えていく。あまり使わなくなるとやがてなくなる。思い出すと一番こっち側へ来る。
早期回想も、こんなこと言っているけど、実はしょっちゅう思い出している。そのことを何かのときに。だからすぐ思い出せる。あまり思い出さなくなると闇の中へ消えていく。スナップショットが消えていってしまう可能性もある。
ひょっとして今まで覚えてなかったのが、たまたま取り出されるかもしれない。写真そのものも、中身は変わらなくても種類は変わる。昔のアルバムが残っているとして、自分の機嫌の良い写真だけ集めて新しいアルバム作ると、とても機嫌の良かった子ども時代ができる。機嫌の悪いときだけ集めて作ると不幸な子ども時代の写真ができる。思い出だって同じことです。不幸な部分だけ集めたら不幸な子ども時代が再構成できる。幸せな部分だけ集めたら、幸せな子ども時代ができる。その上で「私の人生ってこうなのよ」と最後に言う。結局全部嘘です。編集員の手が猛烈に加わっているから。
中学生以上になると、記憶はビデオ化してちょっと動いたりする。何枚かあるんで全部ビデオかどうかわからないけど、少し複雑です。それだって変わるんです。やっぱり説明があとからいっぱいついている。出したり入れたりする。あるものだけ集めたり違うものを集めたりする。
夢もそうです。夢の実体はよくわからない。何かあるビデオ写真みたいなもの。僕たちが臨床で扱う夢は、それを報告したものです。本人も治療者も気にしているのは、夢の「中身」のほうでなく「説明」のほうです。言葉になっている夢。それはしょっちゅう変わる。変わらないと考えるほうが不思議なの。
過去はまったくアテにならない。その時点その時点で、今再構成するから。