訪問カウンセリングは?
Q
不登校児に対する学生カウンセラーをやっています。家庭訪問の活動を始めようとしています。学生カウンセラーとして間に入る立場ですが、接する上での心構えを教えていただけないでしょうか?
自分自身、不登校児だった過去があります。自分の例を話すことは、相手にとってプラスになるんでしょうか。もしも接し方を間違えたことで逆効果にならなければいいと考えています。心を開いてくれるまでの時間が一番大切だと思うのですが。その間にすべきことがあるんでしょうか?
A
こんなにようけい(たくさん)聞かんといてください。
訪問カウンセリングは、僕、好意的じゃない。否定的なんです。訪問カウンセリングのやり方にね。するんだったら、子どもがカウンセリング受けてもいいという気になってくれるために、カウンセラーとはどんなものか見せに行くもので、それはどんなやり方かというと、親に会いに行くんです。子どもと会おうとあまり強く思わないこと。親とお話して帰る。親にも先にそのことを言っておく。子どもさんには無理に会わない。子どもが会うと言ってくれれば会います。そうでなければ会いません。お父さんなりお母さんとお話をして帰ります。そうすると子どもは、最初からかどうかわからないけど、たぶん観察していると思う。訪問してきた人がどんな人か。あの人だったら会ってもいいなあと思うと会ってくれる。イヤだなあと思うと会ってくれない。しばらく通って会ってくれないようだったらやめます。会ってくれるようだったら会います。
子どもがカウンセリングを受ける決心するまでは、こっちから積極的に働きかけないで、カウンセラーとはどんな人物か見えるようにするのが最初の仕事です。
会ってくれたらいきなり「では不登校の問題を解決しましょう」ではなくて、「子どもが自助する」というのがすごく大事だと思う。鎌田さんが『クライエントの責任』という論文を書いた。あれはすごく大事な視点です。われわれ治療者の側にも責任があるけど、お客さんの側にも責任がある。ここ(=アドラーギルド)へ通って来るとか、相談料を払うというのはクライエントさんの責任です。子どもは、不登校児はどんな責任を取っているか。訪宅してもらうと一銭も払っていない。あるいは親がお金を払うと、その子は何も責任を取っていない。これは必ず失敗します。カウンセリングを受けたかったら、相談所まで来てほしいとか、クライエントが取る責任を先に考えてほしい。いつでも求めに応じて「はい行きます」という構造を取らない。
心を開いてくれるようになるまでが一番大切な時間だとは思いません。開いてくれてからのほうがもっと大切です。反抗的な子どもと関係つくまでが一番大切な時間なんではなくて、関係がついてから援助するのが一番大切な時間です。手術しようとしたら体力がない。それならしばらく栄養をつけて、手術に十分耐えられる力をつけてから手術する。栄養をつけている時間が一番大切ではない。手術する時間が大切です。関係はそこの手順を間違わなければだいたいつきます。
関係がつくというのは、温かい包容力ある関係ではない。ビジネスの仲間として相談し合える関係です。それはアドラー心理学の治療関係の1つのイメージですが、「愛と信頼の関係」ではない。私はクライエントさんを愛したくはないし愛されたくはないから。「誠実な顧問、相談者」でいたい。弁護士さんみたいな。あるいは企業コンサルタント。“子ども業”という企業のコンサルタントになりたい。そういう関係は簡単につきます。最初強引にしなければ。そこからあとが大変なんです。学校へ行かない子を援助していくのはいろいろしんどいので、その都度、ここ(=アドラーギルド)へ勉強に来てください。それしか言いようがない。