目標追求
Q
目標追求するということは、車輪の下でくるくる回っているリスのようだと私は思います(ああ、そうかね)。馬鹿げているとわかっているのに、人はなぜそれをやめないのでしょうか?時には目標追求をやめるということをなぜ自由にできないのでしょうか?
A
不思議なことを考えるな。僕そんなふうに思ったことないけど。ご飯食べたでしょう。食べたエネルギーは目標追求に使われなければ、ただ熱となって発散されるだけじゃないですか。人間のエネルギーなんですよ。エネルギーの使い道なんですよ。
理屈の話をしよう。一番根本には生物としての生存(自己保存)だとか種族保存だとかいうような目標があって、その目標を達成するには人間の場合には所属しているということがどうしても必要で、所属するということを達成するために、今はABCDとタイプを書いたけど、その中にまた細々として個人個人の目標があると思う。究極的にはわれわれの生命のエネルギーそのものなんです。僕たちが生きているというのは目標追求しているということだし、目標追求しているのは生きているということで、もし目標追求をやめたら体は生きているが心は死ぬと思う。何にもしないんだから。生きていることの良いことも悪いことも何もかも実は目標追求ですから、やめるということはつまり死ぬということですから、死にゃあやめられる。