親の責任
Q
親の責任について教えてください。
A
責任というのは「仕事」という意味なんですよ。「親の仕事について教えてください」と聞いているんです。親の仕事はごく簡単。子どもの食事を作ったり、身の回りの世話をしたり、子どもの相談に乗ったりすること。責任という言葉も尊敬と一緒で、日本語では変な意味で使われますから、いつも出てきたら「仕事」と言い直したほうがわかりやすいと思う。親の仕事ってどんなものか知りたかったらまあ「PASSAGE」に出てください。そんなにたくさんの仕事はない。どうしてかというと、子どもは基本的には育つ力を持っているわけです。人間の子どもは大きな脳みそをしていましてね、僕の友だちで障害児治療をやっている先生が言っていたんですけど、昔、心理学の実験室にいて、ネズミの条件づけ、ネズミに学習させる実験をしていました。なかなか賢くていろんなことをするようになるんです。ある日、障害児の施設を見に行きました。そしたら無茶苦茶なんで、「おかしいなあ。障害児でもネズミよりも脳はでかいぞ」と、「ネズミが学ぶのにあの子らが学ばないはずはない」と、次の日から障害児教育に転向しました。実験心理をやめて。そして彼のところへは重度障害の人がいっぱい行くけど、「ネズミでも学ぶんだから」という彼の信念が良い成績を上げてくれています。子どもは育つ力があるんだと最初に思っておかないと、私が引っぱってあげないと動かないと思うと、何か重苦しいじゃない、親としては。育つ力があるのを、ちょっと方向を変えてあげないと、ちょうど羊の群れをシェパードさんがあっちへ向けたりこっちへ向けたりするように、少し方向修正はしてあげないといけないだろうと。それが親の仕事だと思うんです。だからまず子どもに自由にいろんなことをしてもらってて、それをこちらから見てて「これは将来自立するほうにつながるな」と思うことには言葉をかけ、「つながらないな」と思うことにはそーっとしておくと、向こうに気づかれないままにこちらの思う方向に操作していけるではありませんか。ひどいことを言ってるなー。初め手がかかるけどね、人間の子どもはね。ゼロ歳から2歳くらいまでの生活能力が極めて低いから手がかかりますが、お母さんたちはあの乗りでずっと中学生・高校生まで行こうとするから、子どもに背かれるんですよ。最初だけなんです、あんなに手がかかるのは。3歳を越えるとだんだん手がかからなくなって、小学校に入ると相当手がかからなくなって、何だったら中学に入ったら放し飼いにしてもいいんだけど、そうもいかないから、一応高校へ入ったら放し飼いの線で行くほうがいいんじゃないかな。