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スレッドNo.535

「先生のいるところに」「先生の言うことを聞く」のはどうして?

Q
 アドラースクールのルールで、「先生のいるところにいなければならない」、「先生の言うことは聞かなければならない」というのは、どういう考え方にもとづいているんですか?

A
 そんなん当たり前と違う?
 それが当たり前でなくなっているところが、日本のアナーキーさだと思う。民主主義というのは何かと言ったら、リーダーがいて秩序があってルールで動くのが民主主義です。
 子どもが学校にいたら先生のいるところにいるというのは、民主主義の一番根底的なシステムじゃないですか。そこのところを疑うということは、つまり民主主義そのものを疑っているということになります。子どもが教育を受けなくていい状態を容認している。つまり、大人が子どもを教育する義務を放棄しているということ。子どもが先生のいるところにいなければならないというのはまったく当然で、議論の余地がないと思う。もし民主主義というものを支持するなら。
 民主主義を支持しないならそれもOKです。「私は民主主義はやめです。アナーキーでいいです。無政府状態で、みんながしたいことをして、“人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいじゃないか”主義で暮らす」ならOKだけど、西洋で生まれた民主主義は、“人に迷惑をかけなければ何をしてもいいじゃないか”主義ではない。ルールがあって秩序があってリーダーがいて組織があって動くのが民主主義です。
 日本は民主主義をたぶん取り入れそこなっている。僕たちは、われわれの政府のことを信頼していない。なんで信頼していないかというと、僕らが選挙という行為を大事だと思わないから。選挙を大事だと思えば、いい加減な人は政治家になれない。もっとみんなが政治というものを正面から考えて、候補者たちについてもっとよく知って、自分も政治家になろうと思って、自分たちの代表を出そうと思って、それで選挙していけば日本の政治は良くなる。
 でも、基本的に民主主義というものについて、ちゃんとしたリーダーがいてちゃんとした組織があって動くものだという概念を持たないで、要するにみんなが好き放題にすればいいんだと思って、支配がない状態がいい状態だと思って動くわけでしょう。それはすごく根底的な誤りだと思う。
 アドラー心理学はアナーキズムには絶対反対なんです。みんなが好きなことをして、人に迷惑さえかけなければ何をやったって許されるというわけではない。人間はパワーを出し合って、それをうまくシステムにして組織にして動かないと生きていけない。だから、「共同体に対して自分がどんな貢献ができるかを考えなさい」と、アドラーが常に言うわけです。教師のいるところに生徒がいるというのは、「なぜ?」といったら、「それは民主主義を支持するなら当然」というのが答えです。先生の言うことには従わなければならいのはなぜ?教師はリーダーだから、メンバーが従うのは当然です。
 ただ、教師の言うことに子どもは従わなければならない、親の言うことに子どもは従わなければならないのだけど、それはあらかじめ合意されていること。そのことがルールとして、「この学校では先生が指さしたら外へ出ないといけない」が、子どももそうだと思っていること。それ以外のことには適用されない。「立ってなさい」には従わなくていい。従わなきゃいけないのは「指さしたら出て行け」だけだから。「運動場を1周回って来なさい」には従わなくていい。ルールで合意されてないから。
 ルールで合意されていること、合意されたことが、冷静に怒りや罰を伴わないでちゃんと実行されていることであれば、従わないという理由は何もない。だって子どもはそれに合意したんだもの。

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