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スレッドNo.537

大人になっても門限を話し合わないといけないのか

Q
 野田先生は娘さん(当時24歳)の門限について話し合ったそうですが、もう大人ですから行動の結末を体験させるということでしたら、何時に帰ろうと誰とつきあおうと親が口を挟まなくてもいいのではないでしょうか?

A
 そういう考えもある。答えは1つではないから。でも、親が不安に思っていることを子どもが手伝うのもいいことだと思う。子どもが不安に思っていることを「こうしてくれないか」と言ったら、たぶん手伝うし、「早く帰ってほしい」と言って、子どもが早く帰ってくれるのもいいことでしょう。「子どもの課題だからかまってはいけない」という考え方はアナーキズムです。人間どうし話し合って合意すれば共同の課題になる。どんなことでも。門限のことも、話し合って合意したからそれでいいんじゃないかな。
 アドラー心理学を学ぶ前は、子どもが合意しようがしまいが、迷惑かけていようがいなかろうが、結末があろうがなかろうが関係なしに、片っ端から口を出しました。アドラー心理学を教えるときに、私だけじゃなくて多くの先生が、「課題の分離をしなさい」「それは子どもの課題です」と言うから、何でもかんでもそっちへ突っ走って、何でもかんでも子どもの課題で、「私知らないわ」となる。それはオッケー。一時オッケー。でも、課題の分離だけではアドラー心理学じゃない。アナーキズムです。
 「共同の課題」がアドラー心理学です。アドラーが理想としたのは、人々が助け合って生きること。助け合って生きるために、まずその下準備として、相手の仕事と自分の仕事とをきれいに分けておかないと助け合えない。相手の仕事を相手にさせないで私がしちゃったり、私の仕事を相手に押しつけたりしたら協力できない。だからきれいに分けている。
 24歳であろうが10歳であろうが、話し合って決まったことなら何だってオッケー。両方が納得すればね。その両方が納得するやり方を教えたいんです。
 「うちの娘が夜、外へ出ていることが悪い」とは言っていない。ただ「2時3時になると私が心配だ」と言っているんです。もちろんそれは私の課題です。私の課題だから私が解決しなければいけないかというと、相談して向こうが「そうね、それももっともだわ」と思って帰ってくれるなら、感謝して帰ってきてもらえばいいじゃないですか。

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