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スレッドNo.568

人と人との理解

Q
 アドラー心理学は言葉、コミュニケーションを大切にしていると思うんですが、そしてそれは「人と人とは理解しえない」ということを前提としていると私は理解しています。私の友人はたわいのない会話なら、お互いの解釈が多少ずれていてもいいから会話が続くけど、自分が大事にしているところを話したとき、相手の解釈がずれていたら、「もうそのところは話したくない、言いたくない」と言います。(わがままなヤツだな。)ずれていたら話したくないというところが、私には理解できません。人と人との理解についてお話ください。

A
 世間では、人と人とはわかり合えると思っているんですよ、一応ね。でもアドラー心理学は、人と人とはわかり合えないと思っているんですよ。例えば、ハゼという魚がいまして、秋になると川を上ってきて、みんなでハゼを釣りに行ったりするんですよ。僕、ハゼ釣りは今から40年くらい前にやったきりなんです。40年くらい前にやったという子ども時代の体験が1つ僕にはあるんです。で、さて今10月か11月になりまして、川のほとりを歩いていると、橋の上からハゼを釣っているおじさんがいたとしましょうよ。で、誰かもう1人の人と歩いていたとしましょうよ。で、僕「ハゼ釣ってるな」と言うんですよ。「あ、ハゼ釣ってるね」ともう1人の人が言うんですよ。絶対違うことを考えているんですよ。だって僕は今から40年前にハゼを釣ったんですよ。隣の人は40年前に僕とハゼを釣ってないんですよ。体験を共有してないから、同じハゼという単語にこめているニュアンスが違うんです。これはいくら説明しても、絶対に40年前にどんな風が吹いたのかどんなお日様が出たのか言えないから、説明できないんです。ということは、ハゼ釣りみたいな簡単なものでもそうだから、男女の情愛という類いのことになると、今までの自分の人生の経験のいろんなことが全部そこに乗っかっているわけだから、そんなん話してわかるとは思えないんです。話してわかるとか思わないから、じゃあ話しなくてもいいのかというと、だから話をしないといけないんですよ。わかんないけど、どうしても相手に伝えておかなきゃならないことは、工夫して、「ああ言い、こう言い」と話をしないとしょうがない。チラッとほのめかす程度に言ってわかってもらおうと思うのは、間違ったライフスタイルの2番目「依存」です。「ああこの人わかってもらえないな」と思ったら、その日にわかってもらえなくていいから、時間かけてゆっくり話してわかるように工夫しようと思わないとしょうがないと思います。

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