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スレッドNo.624

小1息子、勉強嫌いで宿題しない

Q 
 小学校1年生の息子がいます。勉強が嫌いで入学当初から宿題をほとんどしていませんでした。最近は自分でも「宿題はせなあかん」と思ってきているようですが、学校から帰ってきたらゲームをしたり友だちと遊んで、夜には疲れている状態です。「宿題はどうするん?」と聞くと、「あー俺は疲れてるんや。もう宿題はわからへん。俺はアホや」と怒りだし、最終的には「お母さん、答えを教えて」という状態になり、イヤな雰囲気で宿題をやっている日が続いています。宿題は子どもの課題ですが、このような息子にはどう接すればいいですか?

A
 いくつが方法がありますね。僕、まず話をします。冷静になって深呼吸をして、「宿題についてどう思う?」っていう話をします。こっちは結論はないんですよ。小学校1年生が宿題をしなかったからといって、人生は破滅せん。3年生4年生になってしなくても破滅せん。ひょっとしたら高校生までいっこもせんかっても破滅せん。それでもって人生真っ暗にならない。それで学校の成績が悪いからゆうて人生破滅せん。そうして高校まで行っちゃえば、高校は出席さえしていればきっと卒業させてくれますから、そんなにびっくりすることは何もないです。宿題を一生懸命やったからといって、人生に明るい未来が開けるとも限らん。宿題を一生懸命やったら宿題というものに無駄な時間を使ったかもしれんから、わからん。それは子どもの選択次第なんですよ。宿題をしてお勉強をして賢い子になっていくか、宿題をしないでお勉強をしないで大らかな子になっていくかは、子ども自身が選べばいいことだと最初思っておいてから話し合いをします。だいたい話し合いをするというと、「こっちの思う壺にはめる」という意味になっています、実際はね。だから、ある結論以外の結論を子どもが出すと怒るんです。それだったら話し合いと違うんです。それは押しつけているんです。子どもが結局選択することだとわかってから話し合いをします。「子どもの課題」だということは、子どもと話し合いをしてはいけないという意味ではないんです。子どもの課題についてたくさん話し合いをすればいい。子どもの課題だから、最終的にどうしろと言わなきゃいいんです。いろんなことをやっぱり情報交換をする。いろんなことを情報共有するというのは必要なことだと思いませんか?人間が一緒に暮らすというのは、さまざまなことをお互いどうしが知っているということじゃないですか。だから、「宿題についてどう思う?」って訊いて、それで「せん」と言ったら、「あ、そう」って言って、その日はもうそれでよろしい。子どもは少なくとも宿題について考えることは始めると思うんです。1週間ほどして、また機嫌のいいときに、「宿題どう思う?」って訊いて、「せん」と言ったら、「そうか」と言って、また1週間たったら「宿題どう?」って訊いて、「せん」と言ったら「そうか」と言ってしばらく半年くらいときどき話をしてみて、やっぱり「せん」なら、この子は人生の方向を決めたなと思う。それはそれで応援しよう。宿題せん息子には宿題せん息子のいいところあり、宿題する息子には宿題する息子のいいところあり。将来のもの凄い大ものが、小学校でコツコツ宿題をやっていたとは思えないんです。だいたい宿題をコツコツやるヤツは、将来小粒で堅実な人生を送るだろうけれど、びっくりするような大ものにならないですよ。「この子は宿題もせんか。偉い子やね」と、こう思って喜ぶということをすれば子どもはほんとに大ものになるでしょう。例えば、明治維新の坂本龍馬とか西郷隆盛とかは宿題やってたタイプと違うで、あれは。織田信長とかも宿題やってたタイプと違うで。宿題しないということは、将来もの凄い大ものになる可能性がある。まあ、「穴馬」ですから、当たったら大きいけどね(爆笑)。楽しいじゃないですか、穴馬買うのも。そう思いましょう。そうするとのんびり暮らせるでしょう。のんびりしている親が子どもにとっては一番よろしい。うちも穴馬1人いるんですが、なかなか芽は出ませんねえ。いつになったら勝つんやろ。まあええわ。

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