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スレッドNo.631

自分をどう使うか

Q 
 自分をどう使うかに迷っています。子どもがいるので子育てを第一に考えようと思いますが、仕事もしたいと思っています。いろいろな現実的な問題のある中で、「これだっ!」って感じられるものを得られる準備の仕方を教えてください。

A
 そんなんわからんわ。女の人が仕事をしたいと思うのも半分わかるけど、半分わかんないんですよ。僕どっちかというと家庭的男性で、ずっと仕事をしなくて誰か素敵なオバサマが私を養ってくださって、それで朝昼晩に食事を作って掃除して子育てして暮らせるなら、そんなありがたいことはないと思うんですけど。なかなかそういうオバサマが現れなかったものですから、イヤイヤ仕事をしておりますが。仕事することが優れたことで、専業主婦は劣った人たちだという迷信を広げた人たちがいるんですね。一方ではいわゆる女性運動家たちが女性の社会的自立を叫んでいて、それもなるほど納得できる根拠はあるけど、一方では廉価労働力なんですよ。かつて集団就職というものがあって、中学を出た子どもたちが集団就職で都会へ出て、工場なんかで働いていました。今集団就職難かないんですよ。なんでないかというと、代わりにパート主婦を雇うからね。パート主婦というのは、それなりに教育程度も高いし、集団就職の子のように思春期じゃなから情緒不安定じゃないし、それからパートですからいつでも解雇できるんですね。集団就職の子たちは常勤でしたし、当時、組合運動の強かった時代だから組合が組織して、かなり資本家たちが手こずったので、それに比べれば主婦労働力は扱いやすい労働力でいつでもクビにできるんです。おんなじ知恵が若い人たちにも及んで、若い女の人たちはいわゆる派遣社員で、派遣会社へ勤めてそこから現場へ行くのね。そうすると解雇が凄い簡単にできるじゃないですか。そういうふうに資本家の都合の良いように使われているだけという側面があるんです。そこをちゃんと見抜いておかないといけないと思うの。だから仕事をすること自体が社会的に優れた状態になることじゃないんです。資本家の手先になるだけなんですよ。だからほんとに自分のしたい仕事が見つかるまで、まあ慌ててスーパーのレジ打ちなんかに行かないほうがいいと思う。生活に困らないなら。ほんとにしたい仕事っていうのはようわかりません。人によってみんな違うからね。私だって、こういう仕事を見つけるまでに三十七・八年かかったわけですよ。若いころ思っていた方向と違います。若いころの思っていた方向というのも漠然としていましたけど、まあ白衣を着たお医者さんという方向で考えていたけど、全然違う方向で仕事するようになりました。それはなんでするようになったかというと、まわりと自分との相互作用ですね。私があることをやり、まわりがそれに反応し、また私があることに帰る。まわりがそれに反応しちょっとずつ変わっていって現在の状態があると思うんです。だから自分の決心で人生が開けるとも思わないし、まわりのなりゆきで開けるとも思わなくて、その両方のやりとりの中で開けてくると思うんです。そういうふうに考えて、慌てて考えないで、時間をかけていろんなことをやりながら試行錯誤的にやりながら自分の場所を探していくんだと思ったらどうですか?

     

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