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スレッドNo.632

「地図」は近代的自我か?

Q 
 「現場」と「地図」の「地図」とは近代的自我のことですか?

A
 多くの人にとってはそうです。多くの人にとって、僕たちが頼りにしているものは例えば「科学的認識」というものなんです。なんか言ったら「そんな非科学的な」と言うんですよ。でも非科学的なことが必ずしも事実でないとは言えないんです。いつも同じ例ばっかり挙げて申し訳ないけど、万葉集に「信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みせば珠と拾わん」=信濃の国の千曲川の小石も愛しいあなたがお拾いになったのだから宝石だと思って拾いましょう、という歌があるんだけど、誰が踏んだって石は石で、恋人な踏んだ石が宝石になるなら、そのあとを拾い集めて宝石屋を開けば大儲けですよ。それが科学的認識ね。でも科学的認識ではないものが人間を動かしているじゃないですか。だから科学的認識によって僕らの心が決まるわけじゃないです。物質世界は確かにデカルトが言ったように、科学的認識でもって動きます。でも精神世界は、デカルトは初めから「精神世界の説明はしない」と言っていたんですよ。それが心理学という学問ができて、あたかも精神世界の説明ができるかのような顔をしてみんな欺されただけで、われわれの持っている科学的認識がわれわれの心の全部を説明しないと思います。命の全部を説明しないと思います。命の中の蛋白質、核酸の部分だけしか説明できないと思う。例えば僕たちが癌になって、余命幾ばくもなくなったときに、お医者さんはわれわれを見棄てまして、沈痛措置だけしてくれるようになるじゃないですか。そのときわれわれは科学から見棄てられて、じゃあ何を頼りに生きていくのかというと、科学じゃないものさ。何かスピリチュアル・霊的なものを頼りに生きられる人はちゃんと残りの人生を生きられるし、それができない人は近代的自我しか持ってない人で、絶望するしかないじゃない。だから限界があるんです。僕らの持っている近代的な地図には。そこから次の段階へ進まないといけない。次の時代の地図を書かないといけない。この話は凄い長いので、スピリチュアル・ワークをやりますので、そこへ来ていただくと3日2晩この話ばっかりできますから、そちらへ来ていただけるほうが私はありがたいです。

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