スピリチュアリティ
Q
うまく質問できないかもしれないけど、野田先生の中でアドラー心理学の中で、スピリチュアルなことを扱っているのかスピリチュアルの中でアドラー心理学を扱っているのか、それとも両者同じことなのでしょうか?私は野田先生編曲のアドラー心理学がとても好きです。アドラー心理学が科学で言語システムの1つだとすると、言葉を超えたものを扱うスピリチュアリティを考えるとこんがらがってきます。私の修業にはあまり関係ないのですがちょっと訊いてみたくなりました。
A
基礎講座では「理論」と「思想」を扱います。スピリチュアリティはアドラー心理学の「思想」の部分です。アドラー心理学の科学の部分は「理論」の部分です。「共同体感覚」というのをアドラーが言っていた時点で、共同体感覚はすでにもう理論じゃなかったんです。あれは思想で、「人間はいかに生きるべきか」という話だったんです。理論というのは「べき」でなく、「人間はこのようだよ」という「である」の話なんです。スピリチュアリティというのは思想ですから、アドラー心理学の中に収まります。スピリチュアリティという大きな運動、たくさんの運動がありますけど、その中にアドラー心理学をあてはめてもいいし、アドラー心理学の中にスピリチュアリティをあてはめてもいいし、別にどっちでもいいです。科学じゃないから、入れ子構造のどっちが外でどっちが内かあまり気にしないんです。アドラー心理学は昔からそうでした。ユダヤ教徒のアドラー心理学者が、「ユダヤ教の中にアドラー心理学があるのか、アドラー心理学の中にユダヤ教があるのか」と言ったら、「そんなんどっちでもいい」と当然言います。キリスト教徒もそう言います。1人の人間の中に混然と混じり合った生き方ですから、それを「どっちが外でどっちが内か、どっちが先でどっちがあとか」と言うのが近代的自我のやる仕事ですね。