学校制度の問題点
Q
現在の学校制度の問題点についてもう一度整理していただけますか?
A
はい。一番大きいのはやっぱり競争だと思います。子どもどうしを競争させること。比較すること。順位をつけること。欠点を指摘すること。問題点を指摘すること。苦手克服に努力を集中すること。こういう競争としての人間の、なんか学校の尺度ね、数学の成績などでもって計ること。数学の成績っていうのは、何か人生にとって意味があるんでしょうか?二次方程式が解けるということが、僕らがこの人生を生きていくということとほんとに意味があるんやろか?僕、大学を出ましてね、それ以来自分の人生のために二次方程式を解いたことはない。あれ、全然役に立たない。ただ子どもたちを比較したいだけなんですよ。手っ取り早く比較するには、ああいう簡単に試験ができて簡単に点数が出るものが比較しやすい。それでもって子どもを計っているけど、算数とか国語とか社会とかいうものが、人間のすべてを表しているわけじゃない。たまたま試験しやすいだけじゃないですか。そのもので子どもを計っているだけなんですよ。凄いくだらないと思うんです。そんなんやめたほうがいい。それどころか、絵とか音楽にまで成績をつけるんです。どう思いますか?成績つけられる類いのもんじゃないです。フランス人は賢いので、学校に「音楽」の時間はないんですって。なんでかというと、フランス人の感覚としては、音楽とはシャンソンで、シャンソンというのは日本で言うと演歌で、あんなもん学校で教えるもんじゃないから。子どもがこっそり街で覚えるもんだから、学校で教えちゃいけない。そんなもんの歌い方を学校で成績つけると、シャンソン歌手みんな落第すると思わない?あんなん個性ですから、絵とか音楽とかに成績つけちゃいけないと思います。ということは本当は算数とか国語にも成績をつけちゃいけないんですよ。その子たちがどれだけ書けるようになったか、どれだけ計算できるようになったかに誇りを持ってほしいんです。それが1つ。競争させ比較させ劣等感を抱かせるのが問題の1つ。ということはその反対側に、子どもたちが助け合い協力するということをあまり強調しなくなっている。アドラー心理学のクラス運営を考えるときに、子どもたちにどう助け合ってもらうかというのが凄く大きな問題だといつも思うんです。算数のよくできない子がいて、算数のよくできる子がいたら、そのよくできない子によくできる子が何をしてあげたられるか考えたいんです。あるいは国語がよくできる子がいたら、その子が何ができるか。何にもできない子がいても、その子が他の子のために何かできることがあるはずなんですよ。虫の名前をたくさん知っているとか、植物の育て方を知っているとかがあるはずなんです。それでもって他の子たちに貢献できるはずなんです。で、「私は役に立つ人間なんだ」という感じをクラスの子全員が持てるようにクラスルーム運営をしたいんです。そんなこと言うと先生たちは「とてもそんな時間はありません」と言うんです。ということは、あんた方は無駄なことに時間を使っているんだ。こういう本質的なことに使えないんだったら、今やっていることを全部やめろ!いらないことに時間を使いすぎているんですよ。だから、協力という側面が抜け落ちてしまっていると思う。ついでに言うと、民主主義国家というものがあって、これはベストの制度じゃないと思います。民主主義というのはすぐ衆愚主義に変わりますから、愚かな選挙に変わります。民主主義というのは結局「欲望民主主義」で、みんなが自分の私利私欲を満たすために選挙しているわけだから、ベストな政治制度じゃないけれど、今まで人間が持っていた政治制度の中では一番マシなんです。お殿様がいたりする社会よりも王様がいたりする社会よりも、プロレタリア共産主義独裁社会よりも、このほうがマシな制度なんです。さしあたってわれわれは、良い意味でのアナーキーな社会に、政府なしで暮らせる社会に移行できるほど賢くないんです。未来のヴィジョンとしては、そんな中央に政府があって僕らを統治してくれなくても、われわれが自分の力で暮らせる世界になっていけば一番いいと思う。みんなそう思っているんです。最終的に政治のない世界が来るのベストだとマルクスも思っていたし、民主主義者たちも思っているんだけど、過渡的なものとして民主主義というものをちょっと大切にしたい、そうしないとすぐに変なところへ突っ走ってしまって、独裁的になったりするからね。あるいは民主主義じゃなくても、この国、日本という国があって、日本という国に生まれてきたことは、日本という国家、僕は小泉首相のことは言ってないので、靖国神社のことも言ってないので、文化と伝統のことです。一応この国にわれわれが住み着いてまあ2000年だか2500年ぐらいだか、縄文時代から数えると10万年ぐらいかな、住んでるんだけど、その中で作ってきたものがあるじゃないですか。それってそれなりに凄いユニークだと思うんですよ。その国に生まれてきたのは、中国に生まれてきたのよりアメリカに生まれてきたのよりも、たぶん良いことなんです。まあ、生まれてきちゃったから良いも悪いもないけど、僕はこの国に生まれたことを凄く良かったと思うんです。論文を書くときに、一応英文で書く論文は、西洋の心理学と仏教の比較研究なんだけど、漢字が読めるんですよ、一応。漢字が読めるというのは凄い大きなことで、まあ仏教だから中国の漢文を読めなきゃいけないけど、私が漢文を読むのはそんなに努力はいらないんです。(つづく)