論理的組み立て
Q
私自身、交渉は苦手です。決めつけたりすべて譲ってしまったり、パセージのテキストどおり、課題の分離や話し合いや目標の一致の流れじゃなく、何かポイントがあれば教えてください。
A
バーナード・ショーという皮肉ばっかり言うおじさんは議論好きでね、何でもかんでも論争するんですよ。それで全然決着がつかない時ってあるじゃないですか。どう言うかというと、「あなたが正しいのかもしれず、私が正しいのかもしれず、どちらも間違っているのかもしれない」と言ったんです。これ、賢いと思いませんか?あなたが正しいのかもしれず私が正しいのかもしれず、どちらも間違っているかもしれないんです。人間の知恵はたかだかしれたものですから、今すぐ決着をつけられないかもしれないんですよ。鄧小平というおじさんがいて、中国の親玉が、尖閣諸島の領有権に関して「今決着をつけることはないだろう。次の世代はわれわれよりも賢いかもしれないから」と言ったんです。中国人はときどきああいう賢い人がいますね。でも中国の政治制度が悪いから、ああいう賢い人が次々総理大臣にならないところが問題なんですけど、僕らの世代、世代でなくても、今ここで決着をつけなくてもいいことはたくさんあるし、それから、今私の考えていることが間違っていたり、向こうの考えていることが間違っていたり、両方とも間違っていたりすることもあるわけですから、だからまず「楽しむ」ことです。話をすることを楽しんで、何が何でも白黒つけようと思わないことね。でも、ゲームですから真剣に、ちゃんと論理的組み立てをして真剣にやる。で、この前、「論証」、物事を人にわかりやすく説明するやり方について質問を受けたことがあって、私は仏教学のついで、ついででもないんですけど、インドの論理学のお勉強をしたんです。インド論理学って凄い面白いんです。あれやこれやあるんですけど、その中に論証の式の立て方、論証の言い方があって、最初に結論を言うんです。「アドラー心理学は未来を、良い方向の未来を作るであろう」と最初に結論を言うんです。それからその理由を言うんです。「なぜならば、アドラー心理学は人が人を人として扱う暮らし方を模索していて、それを今まで100年間の実績で証明してきているから、これがもっと広まれば、世界が人を人として扱う世界になっていくだろう」と理由を言うんです。最後に「喩え」を言うんです。「それは例えば…」って。これが素敵なんです。全然違う喩えを言わないといけないの。アドラー心理学と関係ないことを何か探すんです。今すぐ思い出さないけど。これをいつも練習するんです。おばちゃんの話って、理由があって理由があって理由があって、結局「何が言いたいの?」っていうのが多いから、最初に「何が言いたいか」言ってくださいよ。それで、「喩え」を1つ見つけて。「それは例えば…」って。そしたらいい感じなんです。
これは出していい例なのか悪いのかわからないけど、この間ね、関西のある自助グループの人がいてね、そこは名前がついているんだけど、フランス語の名前をつけているんです、オシャレに。それは日本語の意味があるんだけど、自助グループの紹介パンフレットに、日本語の意味を後ろに書いちゃったんです。そしたら自助グループやっている人がイヤがったんです。「あれはカフェオレを出したのに、コーヒー牛乳みたいなもんだ」と言われたの。これはとても良い喩えだと思いました。喩えで一発決める。