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スレッドNo.715

野田先生の補正項から

演出の力
2001年05月16日(水)

 明日、精神神経学会で発表するので、ここしばらく準備をしていて、今日は最後の追い込みだ。自分で出す演題ではなくて、向こうから講演をするように頼まれたのだ。もうそんな年になってしまったんだね。でも、とても喜んでいる。もちろん、題目はアドラー心理学だ。私としては、やはり、専門家の前で話をしたいのだ。そうして、ひとりでも多くの専門家にアドラー心理学を学んでもらうことが、ひとつには患者さんたちへの貢献になるし、ひとつはアドラー心理学の未来を担う人たちを育てることになる。
 ふつう、原稿なんかなしに講演するのだが、今回はきっちりと原稿を書いている。とても緊張しているのだ。精神医学の世界では、一方ではフロイト風の精神分析学が今でも優勢だし、もう一方にドイツ精神病理学という、私などにはとうてい理解できない深遠な理論がある。そういう先入観をもった聴衆に、アドラー心理学のようなあまりにも平明な理論と技法を説明しても、はたして評価されるかどうか、とても心配なのだ。たとえてみると、いつもオーケストラの曲を聴いている人に、笛の独奏を聴いてもらうようなものだ。中華料理のフルコースを食べ慣れている人に、漬物とお茶漬けを出すようなものだ。
 そこで、ちょっと工夫して、相方さんを頼んで、分裂病(統合失調症)者の母親に対するカウンセリングのシミュレーションをすることにした。台本はようやく書きあがって、今日はリハーサルしたのだが、ちょっとした声の調子で、感じがまったく変わってしまうものだ。脚本だけでは芝居は動かないんだな、演出の力ってすごいんだなと、今さらあたりまえのことに感心している。台本を書くことはそう苦にならないが、演出はどうしていいのかわからない部分がある。才能がないんだな。あれこれ試行錯誤しながら、それらしく仕上げていったので、きっと大丈夫だろう。



精神神経学会で話す
2001年05月17日(木)

 昨日も書いたが、大阪で精神神経学会があって、その催しの中に精神医学研修セミナーというものがあり、アドラー心理学の治療法について講習をしてくれと頼まれた。ようやくアドラー心理学も社会的に認知されはじめたのだなと嬉しく思っている。まあ、母校の大阪大学精神医学教室が今回の当番校だから、身内だというので声をかけてくれたにすぎないのかもしれないのだが。しかし、身内だとしても、教室との行き来はもう20年近くもほとんど途絶えている。それでも思い出してくれたのは、やはりアドラー心理学が世間に知られてきているからだろう。
 50人ほどの聴衆の前で、分裂病(統合失調症)者の母親に対するカウンセリングのシミュレーションをしながら、あれこれ説明を加えた。「せっかく大阪へ来られたのだから、大阪夫婦漫才ノリで」などと言って、大阪弁でカウンセリングした。まじめな学会のまじめな研修会だから、私のようなふざけた講師は他にはいなかったのではなかろうか。しかし、標準語でカウンセリングすると、どうも間(ま)がつかみにくいのだ。大阪弁だと、微妙な間がうまくつかまえられるように思う。リハーサルしているうちに、やはり大阪弁しかないなと思ったのだ。そうなると、吉本新喜劇風で、アドリブをいっぱい入れることができて、ほんもののカウンセリングにとても近いものになったと思っている。やはり、大阪人は、大阪弁になったとたんに自由になるんだ。
 おおむね好評だったように思う。聴衆の期待とはまったく違った内容の話をしたのではないかと思うのだが、熱心にうなづきながら聴いている人が多かった。質問もずいぶんあったし、内容もきわめて適切な疑問だった。なんだか、未来がちょっと明るい。あちこち、専門家の前で話をする機会が、今後もあればいいなと思っている。そのためには、専門家向きの本を書くことも考えなくてはね。
 隣の部屋では、大学の研究室のボスだった高石昇先生が行動療法の話をされていた。自分の先生と一緒に講座をするというのは、かなり緊張する体験だった。大学に就職して講義をしていると、そういうことはふつうにあるだろうから、そう緊張しないのかもしれないが。

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