野田先生の補正項から
音楽家の文章
2001年06月01日(金)
柴田南雄『グスタフ・マーラー』(岩波新書)を読んでいる。音楽家が書いた文章が好きだ。朗読して美しいように書かれている。文を朗読するということは、小学生でもなければしないかもしれないけれど、黙読であってもリズムというものがある。同じ意味でもリズムのよい文章とリズムの悪い文章がある。音楽家は、それを、ほとんど本能的に知っているのかもしれない。
読みにくいほうの極端はいわゆる「現代思想文」で、朗読してもただの雑音でしかない。言語というものは、まずは話し言葉であり、それが高揚すると戯曲や詩になる。意味よりも前に音がある。音から伝わるものがあるのだ。
ここまで書いたら、例を引いておく必要があるだろう。なんとなく開けたページの一節を書いておく。どこを引用しても同じようなリズムだ。
さて、〔第七交響曲の〕二つの「夜の音楽」の中間にはさまれた第三楽章「スケルツォ」には「影のように」という思わせぶりな発想標語がついているが、これは不思議な音楽だ。全体はほとんど凡庸な楽想のみで、しかもすこぶる練達な職人的な技術で纏め上げた音楽という感じがするが、不思議な演奏効果を持っている。つまり、意外感に満ちた音色が時折オーケストラのあちこちから立ちのぼるのである。弱音器をつけたトランペット、右手を朝顔に深く挿入して得られる、鼻づまりのような音色を出すホルン、ヴァイオリンやヴィオラのソロ、木の撥で激しく叩かれるティンパニ、チェロとコントラバスのパートで、弦を指板に打ちつけるほどの強いピチカト。この最後のものは楽章の後半に出るが、フォルテの記号fを五つも重ねて、マーラーは効果を損なわぬように念を入れている。もっとも、この奏法は今ではバルトーク・ピチカトと呼ばれ、そのための記号さえ出来ていて、珍しいものではなくなっている。
呪:しゅ(2)
2001年06月02日(土)
パートナーさん(萩昌子さん)が小学校の同窓会に出た。昔の面影は何もなくて、みんな知らないおじさん・おばさんみたいだったと言った。
同じ人物であると、どうして思うのだろうか。脳の神経細胞や心臓の筋細胞を除いては、すべての細胞は入れ替わっているし、神経細胞や心筋細胞にしたところで、分子レベルでみれば別の分子に置き換わっている。死んだもの、たとえば、鉄道のレールを構成する鉄の分子は、最初に作られたときと変わらないままで最後まである。しかし、神経細胞や心筋細胞を構成している窒素分子は、最初のものとは違っている。遺伝子を鋳型にして、たえず同じ形に作り直されているので、同じ細胞のように見えるが、それはちょうど水の渦のようなものだ。渦は固定してそこにあるが、渦を構成している水の分子はたえず入れ替わっている。だから、物質的には、どこから見ても同じ人物ではない。
それなのに同じ人物だと思うのは、本人も周囲の人も同じ人物だと思っているからだ。ただ「同じ人物だ」という思い、「同じ人物だ」という言葉、だけが、その人が同じ人物であることの根拠だ。『陰陽師』風に言うと、「呪」だね。みんなが「同じ人物だ」と意味づけているので、なんの問題もなく同じ人物になりすましている。
『アドレリアン』の表紙
2001年06月03日(日)
今日、日本アドラー心理学会の役員会があって、10月に予定されている総会で物故者に対する黙祷の時間を作ろうという話になった。私が、頼藤和寛君は現会員ではなかったが、設立当初の会員であったし、第1回の総会で特別講演をしてもらったし、学会機関紙『アドレリアン』の表紙をデザインしてくれたので、功績があったから黙祷してもらえないかと提案した。
表紙について言ったところで、役員たちから一斉に「ええっ!」と声があがった。ほとんど誰も、表紙を彼がデザインしたことを知らなかったのだ。そうなんだな。考えてみると、30人ほどいる役員のうちで、設立時のことを知っている人は、私の他に一人だけしかいない。時は流れてしまったんだ。
表紙以外にも、彼には、あれこれデザインを頼んだことがある。高校生のころ、私はアマチュア無線をしていた。そのときのQSLカード(交信するとその証拠に交換するハガキ大のカード)も彼に作ってもらった。コーヒーかなにかをおごって、それでお礼にしたような気もするが、なにもしていない気もする。子ども時代だから、まあそんなものだ。
『アドレリアン』の表紙は、今後とも変わらないのではないかと思う。彼が作ったものが意外な場所で生き続けるんだ。やがて彼が表紙を作ったことを知らない人が大多数になる日がくる。そのころ誰かが、「これは頼藤和寛という人が作ったんだよ」と言い、「へえ、そうなのか、あの人がね」と、また人々が感心する。想像すると楽しい。
マーラー
2001年06月04日(月)
柴田南雄『グスタフ・マーラー』(岩波新書)は読み終わった。こんな本を読んでいると、やはりマーラーが聴きたくなる。『第二交響曲』を聴いて、とても満足している。
マーラーのレコードをはじめて買ったのは、中学3年生か高校1年生のときで、『大地の歌』だ。オイゲン・ヨッフムがアムステルダム・コンセルトヘボウを振っていて、テナーがたぶんヘフリガーだったと思う。アルトは誰か忘れた。自分でレコード屋へ行って買った。マーラーを聴いたことは、それまでなかったと思う。それなのになぜ買ったのかよくわからないが、ものすごく気に入って、何度も何度も聴いた。ずいぶんマセたガキだったんだ。
高校へ入ると、いわゆる「角笛セット」の、第二~第四交響曲が好きになった。高校の音楽室にとてもいいオーディオセットがあって、それを自由に使わせてくれたので、クラシック好きの友だちがレコードを持ち寄って聴かせあったりしたのだが、マーラーはいつも不評だった。バルトークはもっと不評だったけれどね。ともあれ、そういう友だちグループがあったので、ベートーベンやブラームスはレコードを買わなくてもいつでも聴けた。それで、自宅にあるレコードは、マーラーだのバルトークだのストラビンスキーばかりになった。
大学へ入ってからは、ルネサンスの合唱曲に入れ込んだりバッハにかぶれたりしたので、マーラーはあまり聴かなくなった。それでも、頼藤和寛が私の家へ来て、『第三交響曲』の中のツァラトゥストゥラの「真夜中の歌」を聴いていっぺんに好きになった場面を覚えているから、聴かないことはなかった。
今も、まあそんなものだ。とても疲れていたりすると、第九交響曲をかけながら眠ったりする。あの曲は、私には深い癒しの効果がある。ときどき無意識に『子どもの死の歌』や『子どもの不思議な角笛』の一節を口ずさんでいることもある。一生こんなことなんだろうな。
それに、マーラーを聴いていると、アドラーが生きていた時代のウィーンのことを想う。マーラーが亡くなったとき、アドラーは41歳だった。彼は音楽が大好きだったし、当時の現代音楽を理解していたようだから、マーラーの交響曲の初演には行ったんじゃないかなと思って聴いたりする。これだけで、ちょっと感動するんだ。